スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サマーナイトフェスティバル&目的

2024-07-16 19:29:47 | 競輪
 松戸競輪場で開催された昨晩の第20回サマーナイトフェスティバルの決勝。並びは真杉‐吉田の栃木茨城,北井‐郡司‐松谷の神奈川,脇本‐古性の近畿で新田と山口は単騎。
 古性がスタートを取って脇本の前受け。3番手に真杉,5番手に山口,6番手に北井,最後尾に新田で周回。残り3周のホームの出口から北井が上昇を開始。脇本は突っ張りましたが,ホームに戻って北井が叩いて先行。ただ叩くまでに時間が掛かったので,郡司が古性に阻まれ,単騎の先行に。古性に阻まれた郡司は真杉にも飛ばされてレースから脱落。残り1周のホームに戻ってから脇本が発進。ただ北井との先行争いで脚を使っていたためそれほどスピードが上がらず,このラインの後ろを追走した真杉がバックから捲っていくとあっさり捲り切り,そのまま優勝。古性の牽制を乗り越えたマークの吉田が4分の3車身差の2着に続いて栃木茨城のワンツー。後方からの捲り追い込みになった新田が外から4分の3車輪差で3着。
 優勝した栃木の真杉匠選手は西武園記念以来の優勝。ビッグは競輪祭以来の3勝目。サマーナイトフェスティバルは初優勝。このレースは北井の先行意欲が最も高そうでした。脇本が前受けしたのは,北井が抑えに来たら突っ張るという心積もりがあったからで,実際に激しい先行争いになりました。このために神奈川勢と近畿勢が共倒れのようなレースになり,その争いを虎視眈々とみていた真杉によい展開となったということでしょう。北井はレースのパターンが限られていますから,相手が対応しようとするのはそれほど難しいことではありません。その対応がどのようなものになるかによって,レースの展開は変わり,その変化に応じて結果も変わってくることになるでしょう。各選手がどのようなレースをするつもりであるのかということを読み切ることは,車券を的中させるための重要な要素のひとつですが,その比重が大きくなりつつあるように感じます。

 ここでもう一度,第四部定義七の文言に注目してみましょう。そこでいわれているのは,我々をしてあることをなさしめる目的finisが衝動appetitusであるということです。ところが,実際には衝動いうものが先にあるのであって,目的が先にあるのではありません。つまりこの定理Propositioでいわれているのは,僕たちに何かをする目的というものがあって,それを衝動というという意味ではないのです。そうではなく,僕たちが何かをなすときに,それをなす目的があるというように意識したら,その目的が衝動であるということです。つまり僕たちは衝動を意識するとそれを目的と認識するcognoscereようになるから,もしも目的が意識されるならそれは衝動のことであるといわれているのです。つまりこの衝動の定義Definitioは,國分のいい方に倣うなら,僕たちの意識conscientiaの転倒を利用したような定義であることになります。なので,この意味において目的は元来は衝動であるということになるのですが,衝動は本来的には目的ではありません。単に目的であると意識される,もっといえば目的であると錯覚されているだけなのです。そしてそうした意味がこの定義に中に含まれている限り,この定義は確かに國分が指摘している通り,目的論批判の文脈が含まれているといえるでしょう。ここでいわれている目的というのは,意識化された衝動そのものであって,それが目的という別の概念notioに錯覚されているだけだからです。よって僕たちは何らかの目的があるからそれに向かって衝動を感じるのではありません。それはこの定義の解釈としてははっきり誤謬errorであるといわなければなりません。僕たちはある事物に衝動を感じるから,その事物を自身にとっての目的であると思うようになるのです。
                                   
 この部分の考察はここまでです。また次の課題の探求に移ります。
 やはり第六章において,スピノザの道徳論に類することが説明されています。これは,『はじめてのスピノザ』の中でも語られていた,第四部定理五九の殴打という行為についての考察と重複する部分があるのですが,入門書の『はじめてのスピノザ』よりも当然ながら詳しくまた深く検討されていますから,ここでまたより詳しく探求し直すことにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする