スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

施設整備等協賛京都向日町カップ&合倫理性への影響

2023-06-11 19:53:28 | 競輪
 京都向日町カップの決勝。並びは朝倉‐黒沢‐志村の関東,佐々木‐佐藤‐小島の神奈川,簗田‐二藤の静岡で阿部は単騎。
 朝倉と黒沢がスタートを取りにいき朝倉の前受け。4番手に佐々木,7番手に簗田,最後尾に阿部の周回。残り3周のバックの出口から簗田が上昇。阿部は続きませんでした。誘導との車間を開けていた朝倉は,誘導が退避するタイミングから突っ張りました。上昇していた静岡のふたりが下りてきたので隊列に乱れが生じ,簗田が黒沢の後ろに下りて3番手。4番手に志村,5番手に佐々木でこの後ろに下りてきたのが二藤。佐藤が7番手になって打鐘。ホームから最後尾の阿部が発進。バックで黒沢が対抗してここから黒沢と阿部の激しい競り合い。制したのは黒沢で阿部は直線で一杯。黒沢の後ろにいた簗田が直線で阿部の外から黒沢を差して優勝。簗田の後ろになった志村は黒沢の内を突き,こちらも黒沢を差して半車輪差の2着。黒沢が4分の1車輪差で3着。
 優勝した静岡の簗田一輝選手はこれがグレードレース初優勝。現況の脚力だと朝倉が最上位と思えるメンバーでしたが,簗田は記念競輪の決勝などの経験はこのメンバーの中では多く,その経験が生きれば優勝の目があるとみていました。結果的に朝倉は2周の先行のようなレースになってしまい自滅。無理に先行争いをするのではなく,よい位置に下りることができたことでチャンスが広がりました。最後尾から単騎での捲りになった阿部のスピードは見所がありましたが,さすがにあの位置からでは苦しいでしょう。一旦は静岡ラインを追った方がよかったかもしれませんが,下りる位置によっては競ることになるかもしれないので,これはこれで仕方なかったのかもしれません。

 XのAに対する愛amorとBに対する愛を,それぞれ個別の感情affectusとしてみるのであれば,たとえBに対する愛がAに対する愛を抑制したり除去したりするのであっても,愛が一般的に合倫理的な感情であることには何の影響も与えません。しかし個別の感情がそれぞれどう対応し合うのかということまで考慮に入れるのであれば,この場合は,XのAに対する愛はAに対してもBに対しても合倫理的であるけれど,XのBに対する愛は,Bに対しては合倫理的であるけれどAに対しては合倫理的であるとはいえず,むしろ非倫理的であるとみられなければならないといういい方が可能です。そして僕はこのこと自体は肯定します。このとき,このことが愛は一般的に合倫理的な感情であるということに対してどのような影響を与えるかということについては,ここまで考察してきたことをまとめた上で判断を下す必要があると思います。
 まず重要なのは,スピノザの哲学において合倫理的であるということは,ある種の行動ないしは振る舞いについていわれることであって,感情そのものやその他の思惟の様態cogitandi modiそのものについていわれることではないということです。つまり愛は一般的に合倫理的な感情といわれるとき,それは愛という感情そのものについていわれているのではなく,愛という感情がその人に生じさせる振る舞いについていわれているのです。要するに,愛という感情はその人に合倫理的な振る舞いをさせるように仕向けるので,それは合倫理的な感情であるといわれているのです。
                                   
 この振る舞いを具体的に示しているのが第三部定理三九です。この定理Propositioは条件を付けていますが,原則的にある人を愛した人はその人に親切にするようにするといっていて,この親切にするという振る舞いが合倫理的であるために,愛は一般的に合倫理的であるといわれるのです。ではなぜ他人に親切にすることが合倫理的であるといえるのかといえば,それは現実的に存在する人間は有徳的であれば,いい換えれば理性ratioに従っているならば他人に対して親切にするからです。有徳的であれば必然的にnecessario合倫理的であり,その合倫理的な振る舞いをさせる受動感情は,合倫理的といわれます。
コメント
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