21日に倉敷市芸文館で指された第29期倉敷藤花戦三番勝負第三局。
倉敷市長による振駒で加藤桃子清麗の先手となり,里見香奈倉敷藤花のごきげん中飛車。①-Aに進みました。

第1図で先手は☗3四馬と引きましたが,この手はあまりよくなく,☗7五桂と打って攻め合っていくのが優ったようです。
☖6六香☗同金に後手は☖6五銀打と上から打っていきました。これはよい判断だったようです。☗6七金引☖7六銀☗同金☖同角成☗7七香までは一本道の進行かと思います。☖6五馬と逃げました。

第2図で☗8八玉としていますが,第1図で☗7五桂が有力であるのならも第2図でも有力だったかもしれません。実戦の☗8八玉に☖6九金と打たれてからは先手にはチャンスがなかったように思います。
2勝1敗で里見倉敷藤花が防衛。第16期,17期,18期,19期,20期,23期,24期,25期,26期,27期,28期に続く七連覇で通算12期目の倉敷藤花です。
デジタルとオカルトというのは,確かに存在する区分であり,かつそういう区分があるというように認識されています。ただ,これは私見ですが,この区分はいわれているほど大きなものではありません。デジタルに即して打ってもオカルトに即して打っても,打ち方自体は変わらないという場合も生じるからです。ここではそういった例を紹介します。この仕方で紹介した方が,第二部定理四〇備考二でいわれていることに即して理解することができるからです。
麻雀を打っているときに,自身が次つぎと得点を獲得していき,2位のプレイヤーと大きな差があるトップに立っていると仮定します。このときに,このゲームでは自分の調子がよいとか,このゲームの流れが自分に来ているというような理由で,次の局は失点することは考慮に入れず,いい換えれば失点の回避という麻雀というゲームの性質は無視して,自分がさらに得点を重ねるという,麻雀のもうひとつの性質だけを目指して打つと仮定します。このときこの打ち方はオカルトに分類されます。一方,ここは2位のプレイヤーと得点の差がかなり大きいため,たとえ失点することになっても順位を落とす可能性がほとんどないので,失点のことは考えずに得点の獲得だけを目指して打つと仮定します。この場合はこの打ち方はデジタルであるとされます。
この説明から,おおよそデジタルとオカルトがどう区分されているのかの予測はつくと思います。すなわち,何らかの論理的な理由,上述の例でいえば得点差とか順位を落とす可能性といった,論理的に説明することができるような理由によって打ち方を決定するなら,それはデジタルといわれます。これに対して,調子とか流れというような,おおよそ論理的には説明することができないような事柄を理由として打ち方を決定する場合,それはオカルトといわれるのです。しかしここで示した例では,デジタルな打ち方をしようとオカルトな打ち方をしようと,失点を恐れずに得点の獲得だけを目指して打つことになるのですから,具体的にどのように打っていくのかという打ち方の内容は変わるところはありません。むしろ同じような打ち方になるでしょう。
倉敷市長による振駒で加藤桃子清麗の先手となり,里見香奈倉敷藤花のごきげん中飛車。①-Aに進みました。

第1図で先手は☗3四馬と引きましたが,この手はあまりよくなく,☗7五桂と打って攻め合っていくのが優ったようです。
☖6六香☗同金に後手は☖6五銀打と上から打っていきました。これはよい判断だったようです。☗6七金引☖7六銀☗同金☖同角成☗7七香までは一本道の進行かと思います。☖6五馬と逃げました。

第2図で☗8八玉としていますが,第1図で☗7五桂が有力であるのならも第2図でも有力だったかもしれません。実戦の☗8八玉に☖6九金と打たれてからは先手にはチャンスがなかったように思います。
2勝1敗で里見倉敷藤花が防衛。第16期,17期,18期,19期,20期,23期,24期,25期,26期,27期,28期に続く七連覇で通算12期目の倉敷藤花です。
デジタルとオカルトというのは,確かに存在する区分であり,かつそういう区分があるというように認識されています。ただ,これは私見ですが,この区分はいわれているほど大きなものではありません。デジタルに即して打ってもオカルトに即して打っても,打ち方自体は変わらないという場合も生じるからです。ここではそういった例を紹介します。この仕方で紹介した方が,第二部定理四〇備考二でいわれていることに即して理解することができるからです。
麻雀を打っているときに,自身が次つぎと得点を獲得していき,2位のプレイヤーと大きな差があるトップに立っていると仮定します。このときに,このゲームでは自分の調子がよいとか,このゲームの流れが自分に来ているというような理由で,次の局は失点することは考慮に入れず,いい換えれば失点の回避という麻雀というゲームの性質は無視して,自分がさらに得点を重ねるという,麻雀のもうひとつの性質だけを目指して打つと仮定します。このときこの打ち方はオカルトに分類されます。一方,ここは2位のプレイヤーと得点の差がかなり大きいため,たとえ失点することになっても順位を落とす可能性がほとんどないので,失点のことは考えずに得点の獲得だけを目指して打つと仮定します。この場合はこの打ち方はデジタルであるとされます。
この説明から,おおよそデジタルとオカルトがどう区分されているのかの予測はつくと思います。すなわち,何らかの論理的な理由,上述の例でいえば得点差とか順位を落とす可能性といった,論理的に説明することができるような理由によって打ち方を決定するなら,それはデジタルといわれます。これに対して,調子とか流れというような,おおよそ論理的には説明することができないような事柄を理由として打ち方を決定する場合,それはオカルトといわれるのです。しかしここで示した例では,デジタルな打ち方をしようとオカルトな打ち方をしようと,失点を恐れずに得点の獲得だけを目指して打つことになるのですから,具体的にどのように打っていくのかという打ち方の内容は変わるところはありません。むしろ同じような打ち方になるでしょう。