スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

いで湯賞&第二部定理三八

2008-08-09 19:01:12 | 競輪
 昨日はあまりに遅くなり,12時を回ってしまったので1日だけお休みしました。そのため紹介できませんでしたが,今日は別府記念の2日目優秀のいで湯賞がありました。
 並びですが,吉田-前田の中部近畿に小倉-西田の四国中国,菅原-小野-大塚-井上の九州で,東ひとりの稲村は単騎。
 前受けは吉田選手で,5番手に稲村選手,6番手に菅原選手という周回。菅原選手の上昇は残り2周のホームからで,バックで抑えると稲村選手が切り替え,吉田選手は6番手。菅原選手がそのままホームから抑え先行になりました。吉田選手はバックから捲っていきましたがこれは大塚選手の横まで。菅原選手を最大限に利した小野選手が番手から抜け出して1着。2着は小野選手と大塚選手の中を割った前田選手と大塚選手で接戦となり,写真判定の結果,両者の同着となっています。
 2分戦ということもありましたが,前受けの吉田選手があっさりと引いたために紛れのないレースとなりました。捲りも番手まで届きませんでしたので,小野選手としては勝って当然といえるレースでしょう。中を割った前田選手の末脚の方がむしろ印象的でした。

 人間の精神mens humanaのうちに十全な観念idea adaequataがなければならないということは,前提と結論との関係に現実的な意味をもたせるというためだけでなく,今回のテーマでここまで考察してきたふたつの別の事柄についても関係します。そこでこれから示す事柄は,単に前提と結論との関係に現実的な意味を与えるという目的だけでなく,それ以外のふたつの事柄についても同時に証明するという意図を含んでいるとお考え下さい。
 スピノザの哲学において,人間の精神のうちにある与えられたもののようなものとして十全な観念があるということを示すためには,共通概念notiones communesに訴える以外に方法はないというのが僕の考えです。そこでまず,ここでは第二部定理三八を用いるということにします。
 「すべての物に共通であり,そして等しく部分の中にも全体の中にも在るものは,(Illa, quae omnibus communia, quaeque aeque in parte, ac in toto sunt)妥当にしか考えられることができない」。
 妥当にしか考えられないというのは,それが観念としてある場合には,必ず十全な観念としてあるのであって,混乱した観念idea inadaequataとしてあることはないという意味に理解していいと思います。よってこの定理Propositioの前提となっているもの,すなわちすべてのものに共通で,かつある個物res singularisを構成する部分parteの中にも個物全体の中にも同じように含まれているものの観念がある人間の精神のうちにある場合には,それがどの人間の精神のうちにあろうとも,十全な観念であるということになります。
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