スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典川崎記念&いわれていること

2024-04-04 19:25:07 | 地方競馬
 昨晩の第73回川崎記念
 ノットゥルノ,グロリアムンディ,アイコンテーラー,ライトウォーリアの4頭が前に。ライトウォーリア,アイコンテーラー,ノットゥルノの順になり,セラフィックコールがグロリアムンディの内に並び,その後ろにグランブリッジという順になりました。4馬身差でデルマルーヴル。4馬身差でエブリワンブラックとシルトプレ。6馬身差でキャッスルブレイヴとディクテオンという隊列。ミドルペースでした。
 向正面ではライトウォーリアのリードが2馬身。アイコンテーラーとノットゥルノの間も2馬身。さらに2馬身差でセラフィックコールとグロリアムンディでさらに2馬身差でグランブリッジ。3コーナーからライトウォーリアにアイコンテーラーが並び掛けていき,4馬身差でノットゥルノ。内からセラフィックコールが並んでいき,外からはグランブリッジ。直線は後ろに差をつけたライトウォーリアとアイコンテーラーの競り合いで,迫ってきたのは外のグランブリッジ。優勝争いはこの3頭。逃げたライトウォーリアが一杯に粘って優勝。外のグランブリッジがアタマ差で2着。アイコンテーラーがハナ差で3着。
                                   
 優勝したライトウォーリアは前走の報知オールスターカップから連勝。重賞は初勝利での大レース制覇。今年はドバイワールドカップと開催時期が接近したこともあり,古馬混合の大レースを勝った馬が不在。南関東重賞を3勝しているこの馬は,重賞でも通用するレベルにあることは分かっていました。2着と3着が牝馬で,ほかの牡馬の有力馬は力を発揮できなかったことで,この馬が勝利を手にすることになったという印象です。このくらいのレベルでの争いであれば,これからも通用するのではないでしょうか。母の父はディープインパクト。従弟に2020年の京都2歳ステークスと2021年の青葉賞を勝っている現役のワンダフルタウン
 騎乗した金沢の吉原寛人騎手は2021年のJBCクラシック以来となる重賞8勝目で大レースは4勝目。川崎記念は初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は一昨年のダイオライト記念以来の重賞4勝目。開業から36年10ヶ月で大レース初勝利。

 第二部自然学②補助定理七備考は,延長の属性Extensionis attributumの個物res singularisである物体corpusについて,単純な物体によって構成される複雑な物体を想定し,複雑な物体によって構成されるさらに複雑な物体を想定し,といった具合に繰り返していけば,ついに延長の属性の間接無限様態である全宇宙の姿facies totius Universiの認識cognitioに至るということをいっています。これは,無限infinitumである全宇宙の姿が,有限finitumである個々の物体によって構成されているということをいっているとしか僕には解せません。しかし本来は無限は有限であるものの総体ではない筈なので,この備考Scholiumでいわれていることには論理的な飛躍があると僕はみています。ただ,スピノザは実際にそのような言明をしているわけですから,國分がこの部分を論拠とすること自体には問題があるとはいいません。この部分に論理的飛躍があるというのは,國分が指摘しようとしていることとは明らかに別の問題であるからです。この部分を援用して,神Deusをひとつの個体としてみるという点について,必要なことだけをここでは考察します。
 僕たちが認識するcognoscere属性は,延長の属性のほかに思惟の属性Cogitationis attributumがあります。これは第二部公理五の意味の中に含まれていると僕は考えています。ただし,僕たちが認識する思惟の属性というのは,延長の属性を対象とする思惟の属性です。第一部定義六から分かるように,神の本性essentiamというのは無限に多くのinfinitis属性から構成されるわけですが,延長以外の属性を対象とするような思惟の属性については,ぼくたちは認識しません。このことをいうためには,思惟の属性というのは,いわば単一の属性なのではなく,無限に多くの属性の各々を対象とするような無限に多くの思惟の属性なのであるということでなければなりません。この点についてはたとえば書簡六十四書簡六十六から,スピノザはそのように考えていると僕は解します。単純にいえば,Aの属性を対象とした思惟の属性と,Bの属性を対象とした思惟の属性は,同一の思惟の属性であるというように考えられるべきではなく,実在的に区別される別個の思惟の属性であるというように考えられるべきだというのが僕の見解opinioで,スピノザはそれらの書簡でそういっていると解します。

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