スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京スプリント&書簡の理由

2024-04-11 19:18:12 | 地方競馬
 昨晩の第35回東京スプリント
 好発はキュウドウクン。しかしすんなりとした逃げにはならず,プライルード,キュウドウクン,ギシギシ.テイエムトッキュウの4頭で先行。5番手にギャルダル。6番手にヘリオス。7番手にジャスティン。その後ろはマルモリスペシャルとアームズレイン。10番手にボイラーハウス。2馬身ほど開いてクロジシジョーとメルト。アポロビビがその後ろで,スナークダヴィンチは大きく離されました。前半の600mは34秒5のハイペース。
 3コーナーを回るときに単独の先頭に立っていたのはテイエムトッキュウ。2番手にヘリオスで3番手がジャスティン。4番手にアームズレインが続きました。直線に入るとテイエムトッキュウとヘリオスの外からジャスティンが前に出て抜け出し,優勝。後方から内を捌いて追い込んだクロジシジョーが2馬身差で2着。逃げたテイエムトッキュウが2馬身差で3着。
                                   
 優勝したジャスティンは一昨年2月のオープン以来の勝利。重賞は2020年のカペラステークス以来の4勝目。第31回以来となる4年ぶりの東京スプリント2勝目。長いこと勝てないでいましたが,大井の1200mのレースでは崩れずに走っていましたから,優勝候補の1頭と考えていました。ただこの馬はこの路線では安定勢力という立場であり,このレースはその安定勢力に能力で上回る馬がいなかったというレベルだったとみることもできます。勝ちタイムが遅くなったのもこの馬には有利に働いたのではないでしょうか。父はオルフェーヴル
 騎乗した大井の西啓太騎手はデビューから10年で重賞初勝利。管理している坂井英光調教師は開業から3年で重賞初制覇。

 書簡七十六では,スピノザがかつてステノNicola StenoのことをアルベルトAlbert Burghと語り合ったという旨の記述があります。つまり,アルベルトとステノも知り合いであったことになります。先にカトリックに改宗したのはステノで,後にアルベルトも改宗したのですが,アルベルトの改宗はたぶんステノの影響を受けてのもので,ステノが直接的にアルベルトをカトリックに誘ったという可能性が高いだろうと思われます。
 書簡六十七と書簡六十七の二は,いずれも1675年にフィレンツェから出されています。書簡六十七の方は9月3日という日付が記されていて,書簡六十七の二の方には日付がないのですが,かなり近い時期に出されたものなのではないかと想定されています。『スピノザ往復書簡集Epistolae』の解説ではこのことについて,両者の間に連絡があった,つまりふたりが相談してそれぞれがスピノザに宛てて書簡を認めたのかもしれないし,カトリック当局の勧めに基づいたのかもしれないと畠中はいっています。僕は前者の可能性はないとはいえないものの,ふたりだけで相談して書いたとすれば,その内容にあまりに違いがありすぎるようには感じられます。スピノザの心を動かすための作戦として,アルベルトはひどく感情的なものを,それに対してステノは理性的なものを書いたという可能性は否定しきれませんが,普通に考えれば内容をある程度はすり合わせるのではないかと思われるのに,そうした形跡がまったくないのは不自然だと僕には感じられるのです。,一方,後者についてはあり得そうだと感じます。とくにステノの書簡は,最初からスピノザの心を動かすのは無理だと分かっていながら書かれているように僕には感じられますから,当局からスピノザに改心を迫る書簡を送るように勧められたから,もっといえばそのように命じられたから,あまり本意ではなかったのだけれどもステノは書簡六十七の二を書いたのだとする方が,書簡の内容から照合すると僕にはリアルに感じられます。
 國分はステノがスピノザに改宗を迫る書簡を送ったのは,過剰な信仰心のゆえであったとしていますが,僕は必ずしもそれだけが理由ではなかったのではないかと考えています。

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