言葉というのは時々刻々と変わっていくものですし
同じ府県でも川一つ隔てればイントネーションや語尾が変わります。
ましてや親が◯◯県出身と✖✖県出身で育ちが△△県、などとなれば「交じった変な言葉」が出来上がります。
父が大阪、母が東京の私もそうなんだろうと思います。
さて・・・
先日テレビを見ていますと「今の若者が判らない大阪弁」的なのがオンエアされていました。
私が親の世代の大阪弁を理解しているかと言えばNOですし、ましてや祖父母の時代の言葉などは知らなくて当然かもしれません。
しかし、驚いたのは
「あんじょうやりや」の「あんじょう」
「さいぜん、あの人来はった」の「さいぜん」
「あいつ、すっぽんかます」の「すっぽんかます」
お尻を指す「おいど」
行き止まりを指す「どんつき」
などが通じないと言うのです。
ま、テレビがデフォルメして大袈裟にやっているのは重々承知ですが(笑)
ということは若い人に話をしていて「通じていないこと」が「知らないうちにある」ということになります。
そむりえ亭の場合、前にいた三宅君や今いる鹿子木君はそれぞれ広島と熊本の出ですから、最初からきつい大阪弁は避けて話します。
また、そむりえ亭のお客様の平均年齢も高いものですから、そこは容赦なく話せるのですが・・・
大阪の人やからと思っていたら「な~~んや判ってへんのかいな?」となるじゃありませんか‼‼
そういう自分も大阪でも泉州文化に育っていますから「かすうどん」などは最近まで知りませんでしたし、今でも馴染みません。
ですから「気にしないタチ」なんですが、知らないうちに「伝わっていない」のは寂しい気もします。
私的には伝わらないなら使わない、です。
これを読まれた関西の若者(30代半ばまで)で上記の言葉を知らんかった、或いは「身の回りの奴らは理解している」という情報を頂ければ幸いです。
ちなみに私は「あんじょう」と「すっぽんかます」はまあまあ使い、「さいぜん」は稀に、「おいど」はネタで、「どんつき」は・・・大阪弁とも思っていません。
どうなんでしょうねえ・・・
樋口誠
同じ府県でも川一つ隔てればイントネーションや語尾が変わります。
ましてや親が◯◯県出身と✖✖県出身で育ちが△△県、などとなれば「交じった変な言葉」が出来上がります。
父が大阪、母が東京の私もそうなんだろうと思います。
さて・・・
先日テレビを見ていますと「今の若者が判らない大阪弁」的なのがオンエアされていました。
私が親の世代の大阪弁を理解しているかと言えばNOですし、ましてや祖父母の時代の言葉などは知らなくて当然かもしれません。
しかし、驚いたのは
「あんじょうやりや」の「あんじょう」
「さいぜん、あの人来はった」の「さいぜん」
「あいつ、すっぽんかます」の「すっぽんかます」
お尻を指す「おいど」
行き止まりを指す「どんつき」
などが通じないと言うのです。
ま、テレビがデフォルメして大袈裟にやっているのは重々承知ですが(笑)
ということは若い人に話をしていて「通じていないこと」が「知らないうちにある」ということになります。
そむりえ亭の場合、前にいた三宅君や今いる鹿子木君はそれぞれ広島と熊本の出ですから、最初からきつい大阪弁は避けて話します。
また、そむりえ亭のお客様の平均年齢も高いものですから、そこは容赦なく話せるのですが・・・
大阪の人やからと思っていたら「な~~んや判ってへんのかいな?」となるじゃありませんか‼‼
そういう自分も大阪でも泉州文化に育っていますから「かすうどん」などは最近まで知りませんでしたし、今でも馴染みません。
ですから「気にしないタチ」なんですが、知らないうちに「伝わっていない」のは寂しい気もします。
私的には伝わらないなら使わない、です。
これを読まれた関西の若者(30代半ばまで)で上記の言葉を知らんかった、或いは「身の回りの奴らは理解している」という情報を頂ければ幸いです。
ちなみに私は「あんじょう」と「すっぽんかます」はまあまあ使い、「さいぜん」は稀に、「おいど」はネタで、「どんつき」は・・・大阪弁とも思っていません。
どうなんでしょうねえ・・・
樋口誠