ダイニング・ウィズ・ワイン そむりえ亭

料理にワインを
 06‐4963‐3098 
 樋口誠

「同感です」とか「シェアします」とか・・・

2014年12月12日 02時16分12秒 | ちょっと休憩
SNSが盛んになってコメントやシェアなるものが幅をきかせています。

それはそれで面白いと思いますし、私もやっていますから否定するものではありません。


しかし、少し気になることがあります。


「炎上」のことではありません。

むしろ反対論者がいない投稿です。

確かに誰から見ても「いいね!!」って記事があります。
またコメントの必要のない「報告的」なものもあります。

が、その人の意見によって特定の人が「犯人」や「悪者」になる投稿です。



公開討論会では双方の意見が聞けますし、裁判もそうですね。

巨大な権力やマスコミを相手の発言も、やむを得ない事かもしれません。

しかし時折見かける記事には欠席裁判のようなものも少なくない。

それだけ読んでいると「ああ、大変な目にあったなあ・・・」とか「つらかったねえ・・・」とか同情や賛意を表したくなりますが、果たしてそうなのか?と・・・・・

まして「シェアします」が何十人と続くのなどを見ると「この犯人のように扱われている人」が「イジメの対象」になっているのだ、と感じずにはおれません。

だいたい反対側にいる人の意見や状況を聞くと「なんだ、逆じゃないか!!」となります。




私も年齢とともに自分より若い人とお話しする機会のほうが増えています。
で、愚痴や批判、いや「あれ凄いですね」的なほめ言葉を聞いても「ほんまにそう思うか?」と聞き直します。

或いは「お客様が『おいしかったよ!』と言って帰られました」と従業員が喜んでいても「ほんまにそう思うか?」です。

そういう言葉を残して帰るのは大人の優しさであったり礼儀であったりします。

「角を曲がったところで『イケてなかったな』と言ってないってなんで判る?」です。

「どこかで間違ったサービス、いや失敗をしていなかったか?」と問う。
何しろ私には欠点だらけです。
満足なんて、ずっとありません。

で・・・・

「あんたは正しい。相手は間違っている」「あんな奴は抹殺しないといけないからシェア」的な投稿はゾッとするのです。




途中で書きましたが「いいね」な記事も沢山ありますから全ての記事に対する意見ではありません。
犯人作りは・・・・という話です。

ちなみに私は飲食店です。
お客様が不満を述べられるのは「その時点の事故やミス」ではなく、それまでに重なった「塵のような小さなこと」の積み重ねです。
確かに変えられないところもありますが、そこ(塵のように小さなこと)を思い出そうとすることが私の仕事かな?と思っています。



               樋口誠