YTは日本自閉症協会本部と私の関係についてもデマを振りまいていた。
支援団体(だと見なしていた)なのだからそれくらいは否定してほしいなと思い
日本自閉症協会本部にメールを送ったことがある。
結果は死んだふり。
YTをアク禁。それだけのことだった。
私のような無名の者が交渉しても相手にされないのかと思い
大物たち(複数)に仲介を頼んだことがあった。
異口同音に帰ってきたのは
「むだ。あそこは使えない」
日本自閉症協会さん、私を恨まないでね。
こう言ったのは私ではありませんよ。この世界の大物(複数)ですよ。
昨日この記事(PDF注意)を読み
相変わらず被害者には興味がないんだなあと思いました。
「知らない人には触らない」
これを教えておけば
警察で怖い思いをすることもないのだ。
皆さんは自閉症児の親であるかもしれない。
でも人の親ならわかるのではないだろうか。
女児の親ならとくに。
知らないおじさんからいきなり触られることの恐怖を。
私がどうしても理解できないのは
応用行動分析を専門にしている研究者のこういう発言。
家族の心情……。
被害者の家族の心情には興味ないんだね。
第一
応用行動分析は
「知らない人には触らない」さえ教えることができないの?
それを教えていたら、誓約書も土下座も必要ないよ。
ベムはまた大騒ぎしてこれを取り上げているが、そらそうでしょう。
育成会のクリスマスパーティじゃなく、別の場所でやったら、即迷惑防止条例くらいには引っかかっただろうから。切実だよね。
そういう親ほど大騒ぎする傾向?
昨日からオープンな場でもクローズドな場(複数)でもこの話が出たが
私と志を同じくしている方たちはいちように被害者を思慮している。
たとえ障害児の親であってもね。重い軽いは関係なく。
それが「共生社会」じゃないの?
その「共生社会」を実現する方向で子どもを育てている保護者は
ベムとは考えが違う。
保護者は一枚岩ではない。
一枚岩になる必要もない。
だから思うのだ。
つねに被害者的側面ばかり見ているのではない先生はいらっしゃいませんか?
加害者的側面にもきっちり向き合えて
そして成長を信じられる先生がいたら
ぜひうちで本を書いていただきたいです。
自薦・他薦は問いません。
そういう方の言説でないと
「本物の共生社会」は実現できない。
そう考えているからです。
そしてうちの周辺には
そういう本を求めている読者がいらっしゃるからです。
加害者的側面を直視できる先生は
成長の可能性を信じている先生じゃないでしょうか。
だからこそ、私はそういう書き手を探します。
支援団体(だと見なしていた)なのだからそれくらいは否定してほしいなと思い
日本自閉症協会本部にメールを送ったことがある。
結果は死んだふり。
YTをアク禁。それだけのことだった。
私のような無名の者が交渉しても相手にされないのかと思い
大物たち(複数)に仲介を頼んだことがあった。
異口同音に帰ってきたのは
「むだ。あそこは使えない」
日本自閉症協会さん、私を恨まないでね。
こう言ったのは私ではありませんよ。この世界の大物(複数)ですよ。
昨日この記事(PDF注意)を読み
相変わらず被害者には興味がないんだなあと思いました。
「知らない人には触らない」
これを教えておけば
警察で怖い思いをすることもないのだ。
皆さんは自閉症児の親であるかもしれない。
でも人の親ならわかるのではないだろうか。
女児の親ならとくに。
知らないおじさんからいきなり触られることの恐怖を。
私がどうしても理解できないのは
応用行動分析を専門にしている研究者のこういう発言。
家族の心情……。
被害者の家族の心情には興味ないんだね。
第一
応用行動分析は
「知らない人には触らない」さえ教えることができないの?
それを教えていたら、誓約書も土下座も必要ないよ。
ベムはまた大騒ぎしてこれを取り上げているが、そらそうでしょう。
育成会のクリスマスパーティじゃなく、別の場所でやったら、即迷惑防止条例くらいには引っかかっただろうから。切実だよね。
そういう親ほど大騒ぎする傾向?
昨日からオープンな場でもクローズドな場(複数)でもこの話が出たが
私と志を同じくしている方たちはいちように被害者を思慮している。
たとえ障害児の親であってもね。重い軽いは関係なく。
それが「共生社会」じゃないの?
その「共生社会」を実現する方向で子どもを育てている保護者は
ベムとは考えが違う。
保護者は一枚岩ではない。
一枚岩になる必要もない。
だから思うのだ。
つねに被害者的側面ばかり見ているのではない先生はいらっしゃいませんか?
加害者的側面にもきっちり向き合えて
そして成長を信じられる先生がいたら
ぜひうちで本を書いていただきたいです。
自薦・他薦は問いません。
そういう方の言説でないと
「本物の共生社会」は実現できない。
そう考えているからです。
そしてうちの周辺には
そういう本を求めている読者がいらっしゃるからです。
加害者的側面を直視できる先生は
成長の可能性を信じている先生じゃないでしょうか。
だからこそ、私はそういう書き手を探します。
小さいときは許されるかもしれないけれど、10年後20年後も通用するかどうか。それを念頭においてしつけしてきました。
人前で肌を出さない、人に触らない、むやみに声をかけない。挨拶は一回言えば十分。知的障害があっても教えていけばわかります。
きちんと教えていけばわかるのに、教えてあげないのは差別だなと思います。お子さんが苦労するのがわからないのでしょうか。
家族から見たらうちのかわいい子でも、人様から見たらただのよその子、得体の知れないただの人です。なれなれしくしないよう、最低限のマナーは覚えるように育ててきました。まだ子育て中ですが、今後も人との距離を保てるよう教えていくつもりです。
自閉症を錦の御旗にしている人は被害者の気持ちがわからないんでしょうか。人に迷惑をかけても仕方ないと思っているんでしょうか。私にはわかりません。
はらわたが煮えくりかえりそうになりました。
この協会の理屈では、
自閉症者が加害を与えた時に
加害者を罰するのは
自閉症者に理解がないということなんですね。
私は発達障害疑いの者ですが
自閉症協会流の見方では
「自閉症者に理解がない人」になります。
私が中学生の時
知的障害のある自閉症の男子に痴漢されて
その男子のことも怖かったし
痴漢されたアンタが悪いと私にどなるその男子の母親のことも
怖かったことがあるせいで
暴力行為と性的迷惑行為をする発達障害者のことを
「発達障害者なんだから、可哀相な子なんだから、許してあげないと」
「発達障害者が迷惑行為をしてしまうのは社会の無理解のせい」
というふうには見れないです。
娘の担任の先生は同性でも肩下からシークレットパーツまでの大きな三角、後ろのお尻の三角は絶対に触らない見せないと教えていました。
中学で昨日書いた好き勝手集団と一緒になり、水着に手を突っ込まれた時は激怒して相手の保護者に抗議したのですが同じ集団の女子の母までが「障害があるんだからお互いさまよ」と言いました。ご自分の娘さんだって触られて泣いているのに。
アメリカの知的障害者向けの性教育スライドを見た事があります。日本ではここまでは出来ないと、当時東京都の人が解説していました。
良い例、悪い例が並べてあり、服装から始まり身だしなみなど細かく作られていて、自慰は自室では○、リビングは×(男女別別のバージョンでしたが役者さんがやっていてぼかしもなく驚きました)、付きまといも×、女子は露出の高い服装は×、爪を噛む×(異性を誘っている仕草)、男子編では人の家を覗く×、裸にレインコートで人を驚かせる×などです。
特筆すべきは小さい子供に近づかないというカードもありました。
解説では年齢差があっても知的障害者は小さい子供と遊びたがる、しかし、性的な衝動は普通にあるので遊んでいる最中に相手を思い通りにしたいと犯罪につながるからと。また、そうならないためにも大人の知的障害者は子供に近づかない、疑われない努力も必要と。
15年位前の事ですが、もっと具体的に日本も踏み込んで犯罪に巻き込まれない、犯罪者にならない教育をしていたら、数年前の殺人事件は防げたかもとニュースを見て思いました。
自閉症の方達が刑務所で罪の償いをしているのは、善悪の判断が出来る障害だからではと思います。時間はかかるかもしれませんが解る子達だと思って接しています。
被害者の親にしてみれば「障害があるんです。謝れません。私は目が悪いので明日でいいですか?」と言われ、怒りは限界に達していたのではと推測します。加害者側のそういう心情を理解しようとした支援者は周囲にいなかったのでしょうか。
何か失敗を犯すたびに普通ではあり得ない振る舞いと支援者の反応は、ますます社会に間違った障害認識を植えてしまいます。自閉症だから犯罪を起こしても仕方が無い。自閉症だからやられても仕方が無い。普通じゃないのだ。見世物に成り下がるのか!実際によく聞く言葉です。
そうじゃないと、当たり前に子育てしている障害児の親がいて、育っている子供達がいることを自閉症協会は知って欲しいです。
私にしたら、障害者VS健常者の構図ってナンセンス以外の何物でもなく、健常者っているの?って思ってますから、極端に表現すると「障害者だから…」という視点は論外です。
また、加害者VS被害者の構図を考えると、小学校での日常では喧嘩両成敗みたいなことがまかり通ってますけど、喧嘩両成敗が成立するのは、互いが納得しての話で、第三者がお奨めするようなものでもないと思います。
ハラスメントの解釈で言えば、被害にあったと
感じた「私」が被害者で、相手は問答無用で加害者ですよね。それでも異議申し立てはできるはずですから、加害者の言い分はもちろん無視されるわけではないでしょう。
そういう社会のルールがあるということを親も子も支援者も分かっていなかったら、生活できないはずですし、誰ともかかわれなくなる。
世の中で対等を望むなら、わきまえておくべきことはあるはず。障害の有無は無関係…と言い切らなくとも、本人が自覚できず、自己統制できないと分かっているなら、なおさら保護者も支援者も心して社会での生き様を管理する方法を徹底しなければ、本人がかわいそうです。
この話を保護者として「それはおかしいでしょ?」と言われたことはありません。親が子に責任を持つのは当たり前だし、一人前に育てるのが責任です。仮に障害のために一人前になれないと思うのなら、どんなふうに責任を取らせるのか、どうしたら責任を取ることが可能になるのか、真剣に検討すべきです。
難しいと思った時には、そのために専門家が支援者として存在するのだと私は思います。専門家は擁護団体のメンバーではないはずです。理解できるのだから、本人に無理なことはどうしたらよいのか、擁護でなく自立支援すべきです。
言葉にすると、なんだか答えが一つのように聞こえてしまうかもしれませんが、自立の在りようは十人十色です。
このタイプの人は、この在りよう…なんてことはないと思います。
人を育てることが、社会を育てることだと言いながら、人を育てることに金も時間も心さえも、あまり与えられていないと思いつつ、それが現実であるからどうしたらいい?と考えなくちゃと思います。
子どもは10年生きたら、もう子どもではない。彼らと過ごしていて感じることの重大な一つです。10歳までにどう育てるか。親としても教師としても、ものすごく重大に考えてます。
まずはご次男が高い倍率を勝ち抜いて合格されたとのこと、おめでとうございます。
賢ママさんが折に触れ語ってくださる言葉には、印象的なものが多いのですが、その中でも自分の中に残っている言葉はこれです。
「自分にとってかわいい我が子だからこそ、世間でつまはじきにされる存在になってほしくない。だから教えなければいけないことは辛抱強く教えてきた」
こういう意味のことをおっしゃっていたことがあると思います。私はそれを「なるほどなあ」と感慨深く聞きました。
知的障害のある息子さんと、ない息子さんと、二人の息子さんをそれぞれの特性に応じて育てられてきた立場からすると「教えてあげればわかるのに教えてあげないのは差別」と思うのでしょう。
今回の話題になっている人たちは、教えても無駄だと思っていたんでしょうかね。それとも教えるという発想そのものが差別なのでしょうか。
わかりません。ただただ空しくなります。この先に共存があるとは思えないからです。
またお越しくださいませ。
事件を起こしたり、事件性があると疑われたら警察沙汰になることは仕方のないことなので、やはりそうならないようにする方向で考えるべきだろうと思います。
うちの息子も声かけ事件未遂がありました。高等部から養護学校ですが、20分くらいの徒歩通学で、途中小学生の女の子に声をかけていたという目撃情報があり、小学校でうわさになっているという内容で、学校から連絡があったので、家族会議の結果、いい機会だから交番に知らせておくことにしました。
カミさんが息子を交番に連れていって、顔を覚えてもらいました。何かあったときには、自閉症のあの子だと思い出してもらえると思ったからです。
また、小学校にも知らせておきました。息子はこの小学校を卒業しており、担任ではなかったのですが、当時の特学の先生がまだいらしたので助かりました。
もちろん、加害者にならない、あるいは誤解されない子育ての方が大切ですが、それ以外にもできることがあるかなーと思い、書き込ませていただきました。
>日本自閉症協会のPDFの内容に
>はらわたが煮えくりかえりそうになりました。
>この協会の理屈では、
>自閉症者が加害を与えた時に
>加害者を罰するのは
>自閉症者に理解がないということなんですね。
どう考えても、こうとしか考えられない出来事が続いたんですよね。この十年。
でもまさか、それで「社会との共存」ってできるわけがないので
私の誤解だろうと私も自分に言い聞かせてきたんです。
自分が被害者となり、死んだふりされてもね。
でも、今回このPDFを見て
やっぱり上記のような考えを協会本部はしているんじゃないか。
そう思わざるを得ないと思っている自分がいます。
まずは、自閉症者の犯罪に泣き寝入りしないこと。
それが平等ということなのだと
そう私は世の中に伝えたいです。
そういう意味で、この奈良の件がきちんと警察の介入がなされたことに希望を持ちます。
物理的な接触を伴う被害は、警察に相手にされやすいのだと思います。
またお越しくださいませ。
「で、どうしてるの?」と聞くと、「根気強く言って聞かせるしかないんだけど…ちゃんと分からないまま卒業していく子も、何人もいてね…」と返ってきて、愕然としたのを覚えています。
私はピアノ教室をやっていますが、ピアノを教えるにあたってこんな能のない言い訳してたら一年で潰れると思います。
一つの事を教えるのに、その子その子の個性に合わせて、または発達の段階に合わせて、色んな引き出しから、色んな手法を使い分ける。当たり前の事だと思います。
うちには発達障害児も在籍していますが、「中には弾けるようにならない子もいるんだよね…」なんて言ったら、こちらの能力を疑われますから絶対言いませんよ。当然です。
この友人が教師として特別未熟なのか、はたまた、これが学校社会のスタンダードなのか?
もしスタンダードなら、親が誤学習する場は、あまりにも数多く存在することになります。
先生達は、お給料もらってるプロなのですから、もうちょっと普通の意識を持って働いてほしいと思うのは、無理な注文なのでしょうか。
>アメリカの知的障害者向けの性教育スライドを見た事があります。日本ではここまでは出来ないと、当時東京都の人が解説していました。
お申し越しのような教育を、地道に地域でとりくんでいるところもあるようですね。必要とあらば、模擬裁判みたいなものをして、きちんと落とし前をつけたりしてもいます。そしてこういうことを実行する支援者は、人権意識のしっかりした方たちです。
もしヨキータさんがおっしゃるような教育が日本でまだできない理由の一つに、発達障害者が加害者に回るということをにおわせるだけで圧力をかけてくる団体の存在があるのなら、逆に当事者の首を絞め、社会との共存への遠回りを選んでいるということで、とても残念です。
またお越しくださいませ。