先日から続いている話の続きです。
3日前、「知らない人には触らないで!」の記事を書いた時、
実は自閉症児の父さんのような批判コメントがいっぱい来るかなと思っていたのですが、
そうでもありませんでしたね。
というか、賛同していただけるコメントの方が多く、
しかも自閉っ子の親御さんからいただけるという有り難い話でした。
私などは自閉っ子の絵を少し描いただけの、当事者でもない人間です。
自閉っ子の親御さんはさぞ教育するのが大変だろうに、頭の下がる思いですが、
そんな中、自分の仕事が少しはお役に立てたような気がして、逆に恐縮しているところです。
コメントをくださった方々には、心より感謝いたします!
ところで、先にも申し上げたように「奈良自閉症協会に掲載された記事」の本質は、
実は障害者問題とは少し違うところにあります。
たしかに障害者は保護されるべき存在ですし、何か問題が起きた時の考慮は絶対に必要です。
ただ、それが明らかな被害者が出てきてしまった場合、
保護者を含め、罪を問われないという話になれば、
それは法律を超えた特権階級という存在だということですね。
しかしながら、そういう特権階級になった瞬間、
実はそうでない一般市民から疎まれる存在になってしまうのです。
この世界には何をやっても罪を問われない存在というのは、たしかにあります。
法の網をくぐって何かする人。
第三世界の権力者。
心神耗弱状態の人。
これらは、ある意味法律にはおかされませんが、当然、一般市民からは良く思われません。
だからこそ「デス・ノート」や「必殺仕事人」「ワイルドセブン」みたいな、
”はらせぬ恨みをはらす”、といったドラマが成立するのですが、私はこういう話は好きでありません。
超法規的な処罰などは、逆にとんでもない話だからです。
あの「ダーティーハリー2」では、
警察の幹部がそういったリンチ組織を作る、という話がありますが、
イーストウッド扮するハリー・キャラハンは、
ドラマでこんな台詞を言っています(詳細は記憶違いあり)。
「そんな組織を作ったら、世の中どうなるんだ。
賄賂をもらったら、即ズドン。
立ちションベンしたらズドン。
罰する方は、やりたい放題だ」
ドストエフスキーの「罪と罰」から、
こうした超法規的なペナルティの善し悪しは問われてますが、
それは言うまでもない話ですね。
しかしながら、罪をおかしても問われない特権階級になりたいということは、
普通の市民から見ると、必殺仕事人で最後に藤田まことに斬られる人になりたい、
というのに近いように思えます。
(特権階級の人が、実際に斬られることはありませんが)。
同和問題の先鋒だった松本前復興大臣が、反感を買ったのもこの一件に近いからでしょう。
あ@花さんをはじめ、コメントをくださった人たちが言うように、
障害者の地位を上げていくためには、特権階級の要求は逆に障壁になるだけに思えます。
社会は共存の場なのですから。
写真は、いっちゃんが物悲しいと言った都会の風景、もういっちょう。
でも、こっちはそんなにかなしくないかな。
ともかくもいっちゃんからツイッターでもらったコメントがヒントになりました。
たしかに言われてみると物悲しい。
それを絵にしようと思います。
まだキャンバスも張ってないのにタイトルも決まりました。
デ・キリコの名画と同じタイトル、「街の神秘と憂愁」です。
お楽しみに!
3日前、「知らない人には触らないで!」の記事を書いた時、
実は自閉症児の父さんのような批判コメントがいっぱい来るかなと思っていたのですが、
そうでもありませんでしたね。
というか、賛同していただけるコメントの方が多く、
しかも自閉っ子の親御さんからいただけるという有り難い話でした。
私などは自閉っ子の絵を少し描いただけの、当事者でもない人間です。
自閉っ子の親御さんはさぞ教育するのが大変だろうに、頭の下がる思いですが、
そんな中、自分の仕事が少しはお役に立てたような気がして、逆に恐縮しているところです。
コメントをくださった方々には、心より感謝いたします!
ところで、先にも申し上げたように「奈良自閉症協会に掲載された記事」の本質は、
実は障害者問題とは少し違うところにあります。
たしかに障害者は保護されるべき存在ですし、何か問題が起きた時の考慮は絶対に必要です。
ただ、それが明らかな被害者が出てきてしまった場合、
保護者を含め、罪を問われないという話になれば、
それは法律を超えた特権階級という存在だということですね。
しかしながら、そういう特権階級になった瞬間、
実はそうでない一般市民から疎まれる存在になってしまうのです。
この世界には何をやっても罪を問われない存在というのは、たしかにあります。
法の網をくぐって何かする人。
第三世界の権力者。
心神耗弱状態の人。
これらは、ある意味法律にはおかされませんが、当然、一般市民からは良く思われません。
だからこそ「デス・ノート」や「必殺仕事人」「ワイルドセブン」みたいな、
”はらせぬ恨みをはらす”、といったドラマが成立するのですが、私はこういう話は好きでありません。
超法規的な処罰などは、逆にとんでもない話だからです。
あの「ダーティーハリー2」では、
警察の幹部がそういったリンチ組織を作る、という話がありますが、
イーストウッド扮するハリー・キャラハンは、
ドラマでこんな台詞を言っています(詳細は記憶違いあり)。
「そんな組織を作ったら、世の中どうなるんだ。
賄賂をもらったら、即ズドン。
立ちションベンしたらズドン。
罰する方は、やりたい放題だ」
ドストエフスキーの「罪と罰」から、
こうした超法規的なペナルティの善し悪しは問われてますが、
それは言うまでもない話ですね。
しかしながら、罪をおかしても問われない特権階級になりたいということは、
普通の市民から見ると、必殺仕事人で最後に藤田まことに斬られる人になりたい、
というのに近いように思えます。
(特権階級の人が、実際に斬られることはありませんが)。
同和問題の先鋒だった松本前復興大臣が、反感を買ったのもこの一件に近いからでしょう。
あ@花さんをはじめ、コメントをくださった人たちが言うように、
障害者の地位を上げていくためには、特権階級の要求は逆に障壁になるだけに思えます。
社会は共存の場なのですから。
写真は、いっちゃんが物悲しいと言った都会の風景、もういっちょう。
でも、こっちはそんなにかなしくないかな。
ともかくもいっちゃんからツイッターでもらったコメントがヒントになりました。
たしかに言われてみると物悲しい。
それを絵にしようと思います。
まだキャンバスも張ってないのにタイトルも決まりました。
デ・キリコの名画と同じタイトル、「街の神秘と憂愁」です。
お楽しみに!
うちのブログもネガティブな反応が全然来ませんが、実は私はそうなるだろうなあと思ってました。
結局こういうところで、責任逃れをしようとする人たちの基本戦略は「死んだふり」で、何か圧力団体をたのまないと、行動できないんですよね。
自分の子どもの問題行動に対しても「死んだふり」してきたんです。
きちんと責任を取る気のある人は、予防対策もやっている。それでも不幸な事件が起きてしまったら謝罪もする。そうなると、別に世間も深追いして責めたりしませんよ。大事なのは再度起こらないこと。そこですからね。
知り合いの話です。
法律に基づいて許可が出せない、けれど何故か自分のみ許可が降りると思い込んでいる。何度でもやってきてごね回す、俺を誰だと思ってるんだ!外歩けんようにしちゃろうか!とすごむ。。。(で、あんた誰?)(~_~;)そして警察庁へ。。。案外こういう話よく聞きます。まるで子ども。
デ・キリコさんも「街の神秘と憂愁」も知りませんでしたが、ネットで絵を見て似たような寂しいものを感じます。
なんにも無い、無機質で寒くて、止まってるような、終わりのような、、、けれど、建物の中では沢山の人がいるんですよね。
今日の写真、長男と5年前東京タワーに上がったのを思い出しました。緑色に見えるビルは、アスパラガスみたいだわ~
(笑)と思いました。お隣のビル、まだ高く成るの!?とか、前の印象とは違いますね。動いてる気がします。
絵完成し、アップしてくださったら嬉しいです♪
一昨日の、「気の毒でした」に、まだ腹を立てている私でした。
そうそう、その言葉。
死んだふりですね!
言うことがあれば名前を公開して正々堂々と発言すればいいのに、圧力団体まかせですか。
言われてみると、なんとなく息をひそめて読んでる感じはいたしますね。
いけませんね。
障害者関係ではありませんが、昨日は私の友人のブログに、
その人がが勤めてる学校の話を書いてくださいって変な書き込みが、
匿名でありました。
本人に自分で言うべきなのに、何を言ってるのかな。
また、学校の先生としてじゃなく、画家としてブログを書いてるのに、
そんなリクエストは迷惑なだけです。
本来は即、削除したいところですが、いちおうその旨、書いておきました。
通りすがりの人がいらっしゃるのは、いっこうに構わないのですが、
一定の節度は守っていただきたいものです。
ごね得、ごね回し、どこでもあるんですね。
こうした人たちの特徴は、本質的な問題と違うところでごねること、
それからあ@花さんじゃないけど、何か自分に不利があれば死んだふりです。
いけませんね。
こんなことは、決して容認しない”ようにん”しないと・・・なんて、ウフッ♪
(いけない、いけない、真面目に話をしてるのに)。
>緑色に見えるビルは、アスパラガスみたいだわ~
うわ!
想像もしなかったけど、言われてみるとそうかも。
前の写真とまったく同時期に撮ったものですが、
ずいぶん印象がちがうものです。
キリコのタイトル、「街の神秘と憂愁」ではなく、
憂鬱ですね。
ずっとこちらで覚えてましたが、前者でいこうと思ってます。
お楽しみに!
いっちゃん邸にある大地くんの絵と比べたら、いっそう面白いでしょう。
>一昨日の、「気の毒でした」に、まだ腹を立てている私でした。
言われてから読み返しましたが、
まさしく被害者そっちのけの「気の毒でした」ですね。
おざなりです。
あ@花さんからツイッターできていた
10年前の大倉山投げ落とし事件と一緒ですね。
http://masuda.livedoor.biz/archives/51516221.html
被害者そっちのけで「発言するな」とはいけません。
私が言うべきことではありませんが、
恥を知るべきなのかは、どちらなのか考えていただきたいものです。