昨日の話のちょっとした続き、ただし右とか左とかの話ではありません。
あ@花さんのブログを読んでいたら、
彼女が英語の記憶を徹底するために、ノートを取らないでいたら、
英語の先生にノートの提出を求められたという話が書いてありました。
(もちろん彼女は無視したそうですが)。
そういえば、わたくしも似たような経験があったのを思い出しました。
(もっとレベルは低いのですが)。
あれは中学1年の時だったでしょうか。
担任の先生から夏休みの勉強計画表を提出しろと言われ、
藁半紙に刷られた紙を渡され、思わずうんざりしたのを覚えてます。
その紙の横軸には7月20日から8月31日までの約40日間が刷られていて、
縦軸には朝から晩までの24時間、一日の行動を書き込めるようになっていました。
「こんなもの書いて、その通りにできるわけないじゃん」
思わず口に出したか出さなかったかは記憶にありませんが、
脳波だだ漏れだった中学生のわたくしは、きっとそう口にしたに違いありません。
中一にして傲慢だったわたくしは、計画表の大切さなど知るよしもなし。
小学生時代も計画表はずいぶん書かされましたが、一度としてその通りにできた試しはありません。
「こんなもん書いてるヒマあったら、その時間、勉強した方がいいじゃねえか」
何を言ってやがる、勉強なんかしないくせにねえ。
こちらも言ったか言わなかったかは記憶にありませんが、
思いっきり省エネの、おざなりで大雑把な計画表を提出したところ、
案の定、担任の先生から呼び出され言われました。
「こぐれ、なんだこの計画表は?
朝の6時から12時まで勉強って、そんなに長いことできるわけないだろう。
それに、その間の食事の時間も休憩時間も書いてないって、どういうわけだ?」
いや、たしかにその通りなんですが、
いちいちアンタに飯の時間と休憩時間を報告せにゃイカンのですか、
第一、実行できない計画表を書くことに、どんな意味があるんですかと言いかかり、
のど元まで出てやめました。
以前も似たような計画表を書かされ、同じようなことを言われたからであります。
まあ、計画表の提出に意味がないと言っては身もふたもありませんが、
この一件を見てもわかるように
私たちの時代の教育は、基本的に官僚を育てるために出来ているものでした。
(今でもたぶんそう?)
官僚は優秀な人でないとなれませんが、それだけに官僚以外の人間の方が多いこともたしかです。
また、あ@花さんのブログじゃありませんが、
肝心なのはその子がどう記憶を身につけ、能力を身につけるかなのに、
その過程のノートを提出せよ、なんていうのは教育の本分ではありません。
おかげさまで私は役人の道にも勤め人の道にも進めず、
世間では、そんなもので飯が食えるのかと言われる代表の職業・・・
絵描きの道を進まなければいけなくなったわけであります。
よく世間さまからは「好きなことで飯が食えて良いね』(食えてないちゅーの)とか、
「自由に生きてて良いね」(〆切に自由はありません)と言われますが、
好きな道に進むのはそれなりに大変。
相撲が好きだから相撲の道を選んで、それで楽できるのかって話と同じですわな~。
(でも、たぶん間違いなく相撲の世界の方が厳しいと思いますが)。
写真は稀勢の里大関昇進パーティーでの高安関。
いや、2年前は幕下だったのに、ずいぶん立派になったもんです。
この日はさすがに鳴戸一門が人気、大関横綱を尻目に多くのファンが群がっておりました。
あ@花さんのブログを読んでいたら、
彼女が英語の記憶を徹底するために、ノートを取らないでいたら、
英語の先生にノートの提出を求められたという話が書いてありました。
(もちろん彼女は無視したそうですが)。
そういえば、わたくしも似たような経験があったのを思い出しました。
(もっとレベルは低いのですが)。
あれは中学1年の時だったでしょうか。
担任の先生から夏休みの勉強計画表を提出しろと言われ、
藁半紙に刷られた紙を渡され、思わずうんざりしたのを覚えてます。
その紙の横軸には7月20日から8月31日までの約40日間が刷られていて、
縦軸には朝から晩までの24時間、一日の行動を書き込めるようになっていました。
「こんなもの書いて、その通りにできるわけないじゃん」
思わず口に出したか出さなかったかは記憶にありませんが、
脳波だだ漏れだった中学生のわたくしは、きっとそう口にしたに違いありません。
中一にして傲慢だったわたくしは、計画表の大切さなど知るよしもなし。
小学生時代も計画表はずいぶん書かされましたが、一度としてその通りにできた試しはありません。
「こんなもん書いてるヒマあったら、その時間、勉強した方がいいじゃねえか」
何を言ってやがる、勉強なんかしないくせにねえ。
こちらも言ったか言わなかったかは記憶にありませんが、
思いっきり省エネの、おざなりで大雑把な計画表を提出したところ、
案の定、担任の先生から呼び出され言われました。
「こぐれ、なんだこの計画表は?
朝の6時から12時まで勉強って、そんなに長いことできるわけないだろう。
それに、その間の食事の時間も休憩時間も書いてないって、どういうわけだ?」
いや、たしかにその通りなんですが、
いちいちアンタに飯の時間と休憩時間を報告せにゃイカンのですか、
第一、実行できない計画表を書くことに、どんな意味があるんですかと言いかかり、
のど元まで出てやめました。
以前も似たような計画表を書かされ、同じようなことを言われたからであります。
まあ、計画表の提出に意味がないと言っては身もふたもありませんが、
この一件を見てもわかるように
私たちの時代の教育は、基本的に官僚を育てるために出来ているものでした。
(今でもたぶんそう?)
官僚は優秀な人でないとなれませんが、それだけに官僚以外の人間の方が多いこともたしかです。
また、あ@花さんのブログじゃありませんが、
肝心なのはその子がどう記憶を身につけ、能力を身につけるかなのに、
その過程のノートを提出せよ、なんていうのは教育の本分ではありません。
おかげさまで私は役人の道にも勤め人の道にも進めず、
世間では、そんなもので飯が食えるのかと言われる代表の職業・・・
絵描きの道を進まなければいけなくなったわけであります。
よく世間さまからは「好きなことで飯が食えて良いね』(食えてないちゅーの)とか、
「自由に生きてて良いね」(〆切に自由はありません)と言われますが、
好きな道に進むのはそれなりに大変。
相撲が好きだから相撲の道を選んで、それで楽できるのかって話と同じですわな~。
(でも、たぶん間違いなく相撲の世界の方が厳しいと思いますが)。
写真は稀勢の里大関昇進パーティーでの高安関。
いや、2年前は幕下だったのに、ずいぶん立派になったもんです。
この日はさすがに鳴戸一門が人気、大関横綱を尻目に多くのファンが群がっておりました。