つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

過ぎてしまえばという色合い

2014-09-19 | Weblog
人は年老いると凡そ仏に近づいていくものだ。
にもかかわらずいまだ浅ましく生き、邪心にして暮らしているのなら、
何だ苦しみの流転の中に浸るものである。
とみに最近は年寄りが多い時代である。事、日本に関してのであるが、
子供のままの大人が随分といるものだ、口悪くして餓鬼のような大人、年寄である。

さて、もう人生も終盤、いつお迎えが来てもよい年に入った人達は、
すべからく執着を離れ、ただ静かに佇み、静かにして微笑、分け与えるのみである。
小さくなって、円くなり、その瞳、子供の色合いにして明日を見ている。
知り尽くした人生の起伏は、その峠の茶屋の穏やかな黄昏時に似ていて、
切なくして癒されて、ただ美しいばかりである。

仏心になる人の老いて日々は何事も無く、手に持たず、足に枷せず、背に負わず、
腹に無くて、頭抱えることも無く楽である。終にして恐れなく。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神通 | トップ | ひとりぼっちは独り法師 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事