誕生の「誕」の文字の意味は、いつわること、でたらめ、うそ、などと辞書にある。この世に誕生したことを喜び祝うが、この世は一切皆苦と仏は諭す。
僅かな喜びと、溢れるばかりの苦しみに、耐えて生きる世に誕生したことが、どうして祝い事なのか甚だ疑問である。なぜあなたはこの世に降りたのか?自分でも分からないのは、ただ無知にあるため。エネルギーの法則は、存在の法則である。その法則に無知にしてあるために、降誕したとする。天の采配である。
でたらめな世界に降ろされて、法則の意義を諦かに見て学べ!その世界は物理に縛られて、思い通りにはいかない何もかも不自由にして在る世界。点と線と空間の三つの次元を基に「虚」を描き、あるでもなし、ないでもなしの創造とする。
その狭間に揺れ動き、精神である心、その意識に真実を覚悟として、諦かに定めよ!故に、誕生として降誕を祝うとする。苦より楽を識して、智恵と為し悟れ!
誕生日を記念として崇め祭るとする。
記念=過ぎ去った日の記憶を新たにすること。
存在の法則は、円運動の自由にあるために、常にゼロに帰す。つまり浄化となっている。そのため始まりは終わりであり、終わりは始まりとなって、永遠となっている。だから、終始は無い。同時にして自身の意識に由る。それが識別である。量子エネルギー意識であるために、自らにして選り分ける現象世界。
諦かに見た法則に沿うなら、得た知識を智恵と為し、極楽浄土を現象とする。
なぜなら、秩序正しく浄化となるためである。
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