つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

仏曰く

2024-08-09 | Weblog
大衆の目にはっきりとわかるのは今年の年末、
既存の大手企業、メディア、政党など、優良とされていたところの化けの皮が剥がされる。起伏の激しい世の中の動きに見て取れる。
病気になって分かる事、そのまま病に侵されてしまう人と、回復していく人とに分かれるのは、「気」の在り方、欠陥にある。それは生命の欠陥につながる。
致命的となる。エネルギー(気)と言うのは回りにあるため、必ず元に戻る。元に戻るという事は、不増不減、不垢不浄、不生不滅と言う自由にある。
この巡りに反応して、刺激を受けて応対、その対応の如何で様々が現れてくる。
それは、幻想でもあり現実でもある。この世の中は、すべて刺激による反応、
「受」の世界である。だから、「受想行識」という。どのように知を識り、想い、行為としたかの世界である。この想行識も輪廻する。「亦復如是」という。
「如来の是に由って繰り返す」、つまり、エネルギーの円運動の法則によって、ということである。だから、人が死んであの世となっても、この世と同じような想いの世界であるという事である。これが、「色不異空 空不異色」である。「この世とあの世は同じ世界」という事を意味している。
あの世はこの世の経験の記憶の現象世界であるために、少しも変わらない世界であると説いている。記憶はエネルギーであるために、無くなることの無いエネルギーとなっている。そのために、思い出す事が出来ていく。それは、ある「きっかけ」で起こる。あらわれる。一度も行ったことの無いところなのに、
なぜかふと懐かしく思ったり、見た気がするのは、いつかの過去是である。
因みに、生まれながらに歌がうまかったり、何かに長けていて、すぐ習得する才能は、過去是に於いての経験によるものである。道理というのは、まったくの未経験にして、「長ける」という性質は無理となっている。
無くなることの無いエネルギーであるために、できる「技」である。
人を動かしている魂(意識)と言うのは、永遠なのである。エネルギーである。それを「心」ともいう。だから、人は、心に基づき、心に従い、心によって動かされている。この心を知るすべもなく過ごしていれば、
何度も何度も生滅を繰り返す。これが輪廻である。輪廻はただ苦しみである。
この苦しみから離れるために、人生知識を智恵として学び、行為としていくことである。その行為は、「悪いことをしない」それだけである。
単純であるが、皆これができないのである。人としての道徳が最も大事であり要である。単純であるからこそ、衆生救済となるのである。難しくあってはその意に反する。できないとする、できるとする可不可は「自分次第」である。

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