つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇

2024-08-04 | Weblog
腐りきった世の中にあっても、道徳心にある人はいるもので、
法則にのっとって、粛々と秩序正しく回りゆくものである。
私達が存在している法則は、正しいから存在しているもので、正しくなければ存在はしない。正しさとは、存在の正義である。
正義とは、道理に適っていて、正しい事、またその人と辞書にある。【ー派】不正を憎み情実を排し、正義を守る事だけを考えて行動する、純粋な心の持ち主、とある。
世の中には、そういう人達もいるもので、そのため秩序は保たれている。
道徳に優れている人達の割合は、2対8の割合であると思われる。それは、
善人が2に対し8が悪(わる)と言う感じであるが、8の中には日和見的な人達が4割ほど含まれる。それは「漁夫の利」のことわざにある人達で、いけ好かない人達。つまり、定見が無く卑劣で軽薄、非理性的、左右どちらにでも簡単に動く人達である。盲目的な心情の人達である。
善人は少なくあっても優れているために、少数にて賄う能力がある。全てにおいて、優秀と言うのは希少にある。これがこの世の道理でもある。
この2対8の割合の中での本物の悪は4、悪魔である。どうしてそのような悪事を思いつくのかは、悪魔たる正義があるからである。悪魔の自由なのである。
悪魔たる正しい義(意味)なのである。自由は「自らに由る」としてあるために、外部からのいかなる力も寄せ付けない。そのため、強制的には無理となっている。道理が無いのである。自らに気づかなければ、正せないのが自由である。本物の悪(わる)にはその気づきもない。従って、悪が揺れ動くのは、日和見的にある悪(わる)に由る。この中の2割だけが動くだけで、事態は変わる。もともと、存在の法則には善も悪も無い。ゆえに善となって動いている自由で存在している。私達がいる所以である。だから、悪事はいつの間にか発覚して裁かれ、消滅していく。浄化の法則となっているためである。必然である。この法則を普通に感じ見ることができるのは一日としての時間の流れである。必ず一旦ゼロに戻る。この法則は、宇宙の星々にある時間の流れによってまちまちであるが、統一されている法則である。地上は24時間という時の流れで回る(浄化)となっている。この宇宙の法則は唯一無二としての法則、これを「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇」と言う。


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