つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

虚誕の世界

2024-08-08 | Weblog
「諦めない」として、知らずしらずのうちに洗脳、そのため、貴方達は、
「真理」を見ることを自ら拒んでいることになる。諦めないというのは、
「明らかに見ることをしない」と自らに暗示をかけているために、真理を見ることができない。物事を明らかにするには、途中で投げ出してしまわないことにある。「最後までやり通す」ことである。これを本来、「諦める」つまり、「明らかにする」という事である。真理を知ってしまうと、この世が如何にでたらめな世の中であるのかということが分かる。知られてしまっては困る輩がいるために、
言葉の意味を真逆にして教え込ませた。習慣となれば正しいとなって、疑う余地もなくなる。「繰り返す」ことが正しいとなっていくのである。これが世の中である。この世の中の時間は、常に繰り返すことで成り立っている。繰り返すことが絶対となって、正しいとなるのは、同化してしまうためである。
「当たり前」として浸透する。同化してしまえば、誰もその間違いに気づかなくなる。
「消滅」することが存在の法則に反するために、消滅は無秩序となり存在とならなくなる。つまり、道理にない。それを悪とする。
だから、破壊行為は悪の行為となり、それを為す行為は自ら消滅していく。
原子が衝突して、一瞬、現れては消えていく粒子は、相反に由って得る存在であるためである。相反してこそ認められる存在は、一瞬と継続に分かれる。
それを見るものには、それぞれの時間を持つ、刹那的と永続的として。
存在と言うのは、摩訶不思議である。
この摩訶不思議な現象が真理、これを追求して、あきらかにすれば、
諦められた世界が現れてくる。そのために、「諦める」の言葉には、帝王と言う最高の位がつけられている。言葉の帝王である。最高の言葉であるためである。「諦める」という意味は、本来、「本当の事(真理)」を明らかに見る事という意味である。途中で投げ出してしまうという意味ではないのである。
「諦めない、諦めない」として洗脳させて、自ら真理の世界を見えなくしているために、常に‘でたらめ’な世の中に輪廻する。だから、誕生の誕の字は、’でたらめ’という意味を持つのである。
貴方は、人生、何のため生きたか?ただお金を稼ぐため、それを幸せと錯覚して、奴隷の様に金に使われて生きていく。して、死んでいき、再び、この世(でたらめな世)に誕生する。だから、生まれた瞬間、その恐怖に戦き、「おぎゃあ」と泣き叫ぶ。一瞬の気づきはすぐに忘れて、一切皆苦の世に生きていく。無知なる定めである。全てでたらめに教えられながら・。
「諦めないと」言うのではなく、「投げ出さない」と言うのが本望である。

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