つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

三年の時を経てから

2020-06-05 | Weblog
これから、
緊急に施与である。つまり、愛情の実行。
裕福にあるものは、散財(分け与える)して当然となっている。
当然であるために、当然であることをしなければ身を害う。
貧困にあるものは、感謝にあらねばならない。
与って当然と思えば、身を害う。

意識は世界を現象する。
未来はただ不定であるために、
思いに「こうだ」と頑なに信じることの良し悪しに、
柔軟性を持っていなければならない。

一人一人の思いは集合して世界を動かすが、乱れに向かえば
多勢に無勢、取り巻かれてしまい、どうすることもできないなかで、
個別にして調いにあれば、その意識は明日(明るい日)を迎える。
周りは雨が激しくとも、そこだけ(身の周り)は晴れていることが起こる。
量子の世界に起こりうることが、現実にも現れるのである。実に不思議なこととなる。
これは当然のこと。なぜなら、自身の意識の迷いが無く、即効となるためである。故に不思議なこととなってあるためである。
人の身も、元を辿れば量子の集まり、して意識の現象の試練の与り受けること。
意によって不定となっている。宿命と運命の未来は、意識の浄化によって変わる。
運ぶ命、落とさぬように慎重に運ぶことを覚えることである。

濾過性病原体は、進化をしてあなたに反応する。
だいぶ今までを反省し、身の回りを見直すことを覚えたのではないだろうか。
意地の良さに感謝を、悪さに恐怖を刺激して、これからの未来をもう少し試される。
二度目は、然程にないものと、更なる恐怖とを思い起こさせ、三度目は耐震の試練と四度目にして訣別である。
正せるのは愛だけである。

宇の意識は、全知全能ゆえに、忘れることをしてすべてを忘れて、ただゲームを存在として、
進化という巡りをしているだけである。
まったりとして静観の中に、光速にして八方を回る。
存在は永遠である。
苦と楽に分かれて、ただ楽を探し求めている。
地上は、今から三年の時を経てから明日がある。
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