つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

テレパシー、この世は「受」の世界

2024-06-02 | Weblog
今一度確認する。
「諦める」という言葉がある。この言葉の本当の意味は、「あきらかに見る」こととして在る言葉。途中で投げ出してしまえと言う意味ではない。真理を明らかにする、世の中の道理を明らかにしなさい、あきらかにして見なさいと言う意味で充てられている言葉である。そのために、言葉という文字に最高の位を表す帝王の帝の字をつけて、最高の言葉であるとしている。
言葉の「帝」(みかど)である。
{諦めない}という事は、本当の事は知らなくてよい、いつまでもバカなままでいろと言っているのである。
諦めないという事を全く反対の意味にして教え込ませ、潜在的に意識の中に信じ込ませた。知らぬ間にサブリミナル手法を用いて、脳にインプット(入力、投入)させたのである。「諦めろ」、「明らかにすることを投げ出してしまえ」「途中でやめろ」という意味にすり替えて、人間の耳には聞こえない波長を用いて、語り掛けたのである。それがサブリミナル手法である。その効果は絶大で、いつしか「諦める」=「途中で投げ出す」という意味にして浸透させた。だから、いつまでもバカなままで、悪魔の言いなり、奴隷となってしまっているのである。「真実をあきらめなくていいんだ」として逆に、何事も「諦めるな」と、あたかも「好い事」であるかのように信じ込ませた。
本来の意味として、真実を知る事は善い事である。「諦める」事は善い事なのである。これと同じようにして、
《情けは人の為ならず》として、非情さを肯定して教え込んだ。「情けを掛けてはいけない」として間違って解釈させた。本来、非情さを肯定させる言葉ではないのである。そのために、その後に続く言葉を理解しなければならない。
《情けは人の為ならず、回りめぐって自分の為》、情けをもってあたれば、必ず自分に返ってくる、自分の為になるのだとしている言葉、つまり、《情けはかけなさい》としている言葉である。情の深い言葉なのである。日本の国民の半数近くが、誤解している言葉である。このようにして、洗脳教育というのは、悪魔な教育をして大衆を奴隷化していったのである。
世間の常識とは何を常識としたのか、間違った教育の下、間違った知識となり常識化されていったのである。だから、この世は矛盾だらけ、善悪転倒して、「苦しむ」事=「正しい」事として、一切皆苦の世となっている。
戦争がいけないと言いながら、いまだ戦争をしているのである。この矛盾に気が付かなくなっているのは、同化しているためである。また、気が付いてきたとしても、どうすることもできなくなってしまっているのである。しかし、大衆が変われば大きく変わる時点に来ている。今までの悪い習慣、慣習は変えられるのである。そのように天(宇宙)の意識を受ける。テレパシーである。
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