つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

自らに由る(自由)たる理由から

2021-12-28 | Weblog
冬至が過ぎた。
時間は春に向かうも、今しばらくが最も寒い。
もう無理かと思いが過(よ)ぎるが、諦めは覚悟をもって夜明けを迎える。
諦かに意識は開かれた。観音力が知恵によって具わる。
意識の自由は、正しい善の正義となって、思い道理になる。
それは、神通力として瞬時を得る。
本来誰にでも具わっている能力であるが、全知全能として存在の意義を保つために、
忘れることをして、忘れることの罠にはまり、完璧に忘れてしまった。
現象はゲームとして、存在の意義を探す。時のない中に時を作り、
数え始めてから80兆劫は経ったであろう。
それは、この意識の世界、宇宙において各々の生命意識が刻んだものである。
まさに、それぞれの生命エネルギー意識の感受の創り出した時間である。
この宇宙そのものには、ただまったりと広がっている悠久のエネルギーがあるだけである。
始まりも終わりもない。道理が円運動であるためで、ゼロポイントとなっているためである。
私という意識が感受した刺激によって始まった。すなわち自由からである。
どうしてそうなのか?答えは自由だからである。
これが宇宙を動かしている自由エネルギー。
円運動であり、無くなることのないエネルギーである。
全ては本来無償にある。愛で作られているためである。
愛があるから存在している。思い出すである。人生、輪廻の目的とでも言おうか・。

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