つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

同化してしまい

2011-03-06 | Weblog
私たちが住むこの地球は、とてつもない速さで回転している。
なぜ目を回すことなく、また、回っていることすら感じないのかといえば、
この地球に同化しているからで、同化してしまえば気づかなくなってしまうからである。
これと同じように、傍から見ればわかるものが、
中に浸ってしまい一緒になることによってわからなくなってしまう。
悪の中に入り込めば、それが間違いだと気づかなくなってしまうのである。

仏様は祈ることは教えていない。祈り願うことによって、
かなえられる事は無いと知っているからである。
ただ、人が誤った知識を持ってしまい、その心で判断していくために、
誤った判断となりその誤りに気がつかなくなってしまっている。
観音経もその一つで、観音経は祈りの経典とされて認識されている。そのために、観音に祈れば
願いが叶うと思っている。知識の誤りが経典の文字に礙げられてしまい、正しく解釈されず、
彼の観音の力を念じなさいとしてしまったために、祈りなさい、祈ることが正しいとされている。
仏様は祈ることは教えていない。祈って願いが叶うものであるなら、祈りなさい。でも、現実はそうではない。
そうは教えてはいない。
観音経の「念彼観音力」とは、「彼の観音となった心念の力」は、である。生前、
精進努力、修行して観音と呼ばれるようになった人の心念力は、どのような力であるかを述べているもので、
総称して、観音様と呼ばれるようになった人の死後の世界とは
どのような世界であるかを語っているものである。観世音菩薩の世界であり、法華経を語り、その中での
観音となった人の世界である。観世音菩薩が語り教えている世界である。当然、死後の世界からの語りであるために、
縁によっての啓示である。それが、持地菩薩との縁であるために、持地菩薩が話している。

祈りが正しいとして仏教となってしまい、それにすっかり同化してしまっているために、
その間違いに気がつかなくなってしまっている。曲げられてしまった仏の教えは、
ただ、読経のためとなっているだけである。救う力を持たずに。
コメント
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