つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

是諸法

2011-03-19 | Weblog
「日頃から」・・少しずつ、・・塵も積もれば、・・継続は力なり、・・繰り返しが法則である。
そのために、毎日同じことを繰り返して生きている。変わらず続いていくために絶対となり正しいとなっていく。
善い悪いに限らず、反復されていけば正しいものとなっていくために、善悪顛倒してしまえば、悪だらけになってしまい
救いようの無いものとなってしまう。

是という文字は、日(太陽)の運行が正しいという意味である。絶対西から日は上ることが無く、変わらずその動きが繰り返されるために法則となっている。
回っているために始まりが終わりになり、終わりが始まりとなって、無くなることがない動きとなっている。だから、是が絶対法則となって、
その法則によっての存在であるために、是諸法という。
是はエネルギーである。気である。私たちもそうである。だから、毎日同じことを繰り返して生きている。
めぐる変化が生死となって繰り返していく。常住の中での諸行無常である。
是が無くならないために、すべてがなくならないものとなっている。
この是が元に戻るものであるためにゼロとなり、浄化となっている。だから、減りもしないし増えもしない。

是が法則であるために、止まることなく動いている。
人がじっとしていられないのはそのためである。その動きが浄化の動きとなっているために、心臓は止まることなく動き、血液も体の中をめぐり、
たえず浄化して肉体は保たれている。あらゆる動きが正しい浄化となって生かされていく。
人生は浄化の行為となっているものであるが、無知であれば間違う。誤った浄化の行為となってしまえば、思いもよらない死となっていく。
誤った世界が繰り返し、救われなくなってしまう。誤りが正しいとなってしまうためである。善悪顛倒した世界が繰り広げられていく。

浄化が道理である。自然である。この道理を学んで正しい浄化の行為として生きていけば、苦の本から開放されていく。
病気も災いも避けて通られていく。

道理を見て、少しずつながらでもきれいを心がけていけば、きれいに生きられる。
身も心も行為も事柄もきれいなものに囲まれていく。すさんだものを見ずにすむ。
「日頃から」・・できる限り道徳に勉めて、浅ましき心を押さえ込んでいくことである。
苦しいことの多い人生でも、遭うべき苦にも遭わずにすむのが道理に適う生き方である。
「きれい」を身に心に行為に為して、事柄が「きれい」に出逢う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする