つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

大事

2011-03-29 | Weblog
少しの間心臓が止まっていた人の思いは、その間どこにいたのか尋ねると、消えてしまったわけでもなく、
同じ空間にいたという。
思いは肉体を離れてこの空間にいる。つまり、思いに死はないのである。
思いに死がないために老化も無く、常に若い。エネルギーだからである。増減の変化はあれど劣化は無いのである。
大小の変化は記憶の積み重ねによってである。それは、幾度の輪廻により、その時々の記憶が重なり、統一統合されて心となっていき、
性格となる。魂である。生命である。生命というエネルギー。やはり、円い輝きの玉となって揺らいでいる。
性格の善し悪しによって白く輝くものと黒ずむものとに分かれている。
どちらにも清浄と邪悪が交じり、混ざり合っている。

エネルギーの法則が回るものであり浄化となっているために、浄化するものとなって生きている。
善悪など無いために、絶対善となっての存在である。
その法則に適い生きることによって、よく道理に守られていく。苦厄を避けられ、
あっても大事となることが無い。不思議な世界となってつくられていく。

善行と悪行の報いは、その為した人がいなくなっても存在している。報いとなるまで消えることは無い。
必ず為した魂に報うものとなっている。そのため、いつかの世に、なした行為の果として、喜びあるいは悲しむ。
報い報われて初めて消えるもので、なんという名の時の人生に現れるのかはわからない。
魂が連綿であるためである。だから、悪は為すなという。
善い事はしなさいという。それこそ、自業自得の果に報うのである。

この無くならないということを知るなら、どうして悪いことができましょう?恐ろしくてできないものを、知らないためにできるのである。
これを無知という。無明に明け暮れていてはいつも堂々巡り、苦しみから逃れられない。いつもいつの世にも、
なぜ、なぜ、なぜと悩み苦しむ。
死後の世界はエネルギーの法則の絶対という世界。変わることの無い世界となるために、つくられてしまってからでは
救うことはできない世界である。
何億という精子(縁)の中から生まれたチャンス、大事である。人生は無駄にない。無知に暮らさず、
智慧を持って無明を破れ。
人生は大事である。
コメント
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