本科段より、余の心所と相応せざる所以を釈す一段になります。つまり、五遍行以外の余の心所とは相応しないことを述べているのです。
第八識は、五の遍行(触・作意・受・想・思)と相応することが心所相応門で明らかにされましたが、それでは、五遍行以外の余の心所とは相応しないのかという問題が残ります。その問題に答えているわけです。余の心所とは、別境・善・煩悩・随煩悩・不定の五位になります。
先ず、問いが出されます。(「外人難ず」)
「如何ぞ、此の識が別境等の心所と相応するに非ざる。」(『論』第三・四左)
此の識が別境等の心所と相応しないのは、いかなる理由なのか?
論主の答えは、
「互いに相違するが故に。」(『論』第三・四左)
「述して曰く、此れは論主の答え。別境と善等との行相は識(第八識)と互いに相違せり。故に倶ならざるなり。此れ総じて之を答す。」(『述記』第三末・二十七右)
遍行以外の心所はそれぞれに第八識と相違するからである、と答えています。何故相違するのかについて、個別に答えられます。
先ず、別境の心所についてですが、別境の心所については第三能変の心所相応門で説かれてきます。
概略しますと、
別境について その概略(列名釈義門)
『唯識三十頌』 第十頌
「初遍行触等 次別境謂欲 勝解念定慧 所縁事不同」
この第十頌は第九頌を受けて述べられていますが、遍行については初能変に詳しく述べているので、ここでは省略し、別境について述べられます。ただ別境についても初能変 巻三にて述べられていますが簡略されていて、第三能変に至って詳しく述べられるているのです。
別境という意味は、「論」と『述記』」から考えてみたいと思います。
「次に別境とは、謂く、欲より慧に至るまでなり。所縁の境の事。多分不同にして、六位の中に於いて、初めに次いで説くが故に」 (『論』)第五・二十八右)
「述して曰く、第一に名を列して別境の義を釈す。第二句の上の三字(次別境)を解す。以下の二字(謂欲)と第三句の全(勝解念定慧)は文に別に解するが如し。第四句(所縁事不同)を釈し、および次の言を解す。別境の名を釈すなり。一一に知るべし。五十五に、所楽(ショギョウ)と決定(ケツジョウ)と串習(ゲンジュウ)と観察(カンザツ)との四境の別なりといえり。つぎに別に五を解す第二に出体なり。体のうちに二あり、初めに別を出す。後に総じて遍行に非ざることをいう。」(『述記』)
『論』では所縁(認識対象)となる境の体は、それぞれがそれぞれの認識対象が異っているといい、その境は四境の別であると釈しています。所楽・決定・串習を曾習(ゾウジュウ)・観察を所観の境と記されています。この境が五の別境に配されて述べられます。欲は所楽の境に対し、勝解は決定の境に対し、念は曾習の境に対し、定と慧は所観の境に対して活動するといわれています。 次の別境とは、つまり、欲から慧に至るまでである。(別境の)認識対象となる境の体は、その多くが同じではなく、認識対象が異っているので別境という。六位の心所の中で、初めの遍行の次に述べられるから次別境といわれるのである。 (詳細については、2013年2月19日以降の投稿を参照にしてください)
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