蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

カナリア

2006年09月11日 | 映画の感想
12歳の主人公は(オウム真理教団を模した)新興宗教団に母に連れられて妹とともに「出家」する。やがて教団はテロ行為により強制捜査を受け、幹部であった母は逃亡し指名手配される。
主人公と妹は祖父に引き取られることになったが、教団の教えを捨てようとしない主人公は祖父の首を絞めるなどしたため、祖父は妹だけを引き取る。
主人公は大阪の児童相談所を脱走し、妹のいる東京をめざす。途中で、親と仲たがいして売春まがいの行為をしていた同い年の少女と出会う。少女は主人公に付きまといいっしょに東京に来る。
祖父はマスコミなどの指弾にあって転居していたが、かつての教団の仲間に助けられたりして、転居先をつきとめる。祖父の転居先の家の近くの食堂で母が死んだことをテレビのニュースで知った少年は自暴自棄になる。それでも祖父の家から妹を連れ出して、3人は、手をとりあって歩き出す。

母の死を知った少年が雨の中を絶叫しながら走りもだえ苦しむ場面が、背後で流れる「銀色の道」という唄とマッチしてとても感動的。「やっぱり暗くて救いのない映画だなあ、見るのやめようかな」と思っていたのをがまんして見続けると、それなりの報いが得られると思う。

主人公が祖父を殺そうとして、拾ったドライバを石で研ぐ場面が何度も出てくる。しかし、母の死を知ってヤケクソになっているはずの祖父の転居先の家の場面で、そのドライバで祖父を刺そうとする少女を主人公はなぜか止める。
それは、祖父も自分同様に世間から追い詰められたことを知っての心変わりなのだろうか。数々の試練を経てついに教団の目的である「解脱」に少年は達してしまったことを暗示しているのだろうか。
どのような理由にせよ、この場面は唐突で、かつ、予定調和的な感じがして、若干説得性に欠けているような気がする。というか、直前の「銀色の道」の場面と比べて落差がありすぎる。

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