藤原正彦さんが書いた「古風堂々数学者」(新潮文庫)を読み終わりました。
藤原さんが書いた著書は「若き数学者のアメリカ」など数冊を読んだことがあります。
初めて読んだ「若き数学者のアメリカ」の内容自体はほとんど忘れてしまったのですが、有名な作家の息子にして純粋数学の研究者(これだけでとても魅力的)である著者のアメリカでの生活が実にかっこよく描かれており、共通一次試験(今のセンター試験)の数学ですら苦戦した我が身からすればなんともうらやましい人生、と感じたことを、今でもよく覚えています。
しかし、後日、藤原さんの別の著書に掲載されていた著者近影を見た時、(すみません、誠に失礼ながら)「天は二物を与えず」だなあ、と思って少々ほっとした(?)のも確かです。
「古風堂々数学者」の内容は、その著者近影から想像されるものにかなり近く、古き良き日本の伝統(「かたち」)を守れ、国語教育を重視せよ、といった主張が中心のエッセイ集です。
論理で説明できる規範よりむしろ、説明不可能な規範(例えば、いじめをしてはいけない、嘘をついてはいけない、親孝行をしなければならない、等)の方が、重要だという著者の意見は、数学という論理しかない世界に生きる人の言葉としては、非常に意外なものであると感じ、また驚きました。あるいは、日常、論理をつきつめるばかりの仕事をしていると、それとは反対の状態を求めたくなるものなのでしょうか。
内館牧子さんが解説を書いています。最近の文庫本の解説としては珍しく、質量とも充実していていて、(またもや失礼ながら)本編より面白いほどです。
藤原さんが書いた著書は「若き数学者のアメリカ」など数冊を読んだことがあります。
初めて読んだ「若き数学者のアメリカ」の内容自体はほとんど忘れてしまったのですが、有名な作家の息子にして純粋数学の研究者(これだけでとても魅力的)である著者のアメリカでの生活が実にかっこよく描かれており、共通一次試験(今のセンター試験)の数学ですら苦戦した我が身からすればなんともうらやましい人生、と感じたことを、今でもよく覚えています。
しかし、後日、藤原さんの別の著書に掲載されていた著者近影を見た時、(すみません、誠に失礼ながら)「天は二物を与えず」だなあ、と思って少々ほっとした(?)のも確かです。
「古風堂々数学者」の内容は、その著者近影から想像されるものにかなり近く、古き良き日本の伝統(「かたち」)を守れ、国語教育を重視せよ、といった主張が中心のエッセイ集です。
論理で説明できる規範よりむしろ、説明不可能な規範(例えば、いじめをしてはいけない、嘘をついてはいけない、親孝行をしなければならない、等)の方が、重要だという著者の意見は、数学という論理しかない世界に生きる人の言葉としては、非常に意外なものであると感じ、また驚きました。あるいは、日常、論理をつきつめるばかりの仕事をしていると、それとは反対の状態を求めたくなるものなのでしょうか。
内館牧子さんが解説を書いています。最近の文庫本の解説としては珍しく、質量とも充実していていて、(またもや失礼ながら)本編より面白いほどです。
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