老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「死者のいた場所」 松井計著

2014-03-03 09:51:24 | 社会問題
この本では「餓死」「孤独死」「介護」について取り上げているが、私は「餓死」について考えてみようと思う。

少し古い資料になるが、平成21年の人口統計調査によると、日本の栄養失調による死者は3つのカテゴリーに分けられ、夫々以下の数字になっている。

「栄養失調症=病気などで栄養が取れなくなり病院に搬送されたが死亡した」1598人
「その他の栄養欠乏症」238人
「食料の不足」58人

この中で病院にも搬送されず亡くなった人を餓死としている。「その他の栄養欠乏症」も理由が特定出来ないから、餓死も含まれるグレーゾーンであろうと著者は述べている。この餓死者は平成7年から22年までの16年間で1817人+その他の栄養欠乏症も含まれる。この数字には路上で行き倒れ凍死した人などは含まれていない。

数字を並べる事よりも、飽食の時代と言われる今の日本で、何故1年に2桁+の人達が飢餓に陥り死んで行くのだろう。

著者の路上生活体験から言うと、食料不足に陥ると1日に必要なカロリー量を満たす食事が出来なくなり徐々に食料にありつけなくなる。食べられたとしても僅かな量で、食べられない日が多くなり、飢餓感に苦しめられた末、命を落とすのだという。

今の日本における餓死は、決して食料の不足によるものではない。そこにあるのは家族からも地域社会からも離れた「絶対的孤立」、他者の目に触れることなく社会から暗数化された存在だと著者は書いている。

それでは家族や地域社会の「絆」を強めれば良いのか、働けない人は家族のセーフティーネットで護り、地域社会がボランティアで気にかければ良いのか。そう簡単に解決はしないだろうと思う。

現ににこの統計によると、16年間の統計で亡くなって行った人を世代別に分類すると、50代348人、60代252人、40代185人の順で、40代から60代までの世代で全体の70㌫を占めているという。

現代の餓死は「社会的餓死」だと著者はいう。幾つかの事例をあげているが、例えば58歳男性はアパートで1人、身よりも相談する人もなく、生活保護を申請する事もなく飢餓に苦しみながら死んでいった。何故この人は行政に相談する事もなく飢餓の中で死んで行ったのか。餓死に近づくという異常な状態におかれた時、人は激しい引け目を感じるという。それは自分は人並みなものを求めてはいけないという陰鬱な感情であり、餓えとは身体だけを蝕むものではなく心までも蝕み、心身共に殺してしまう凶暴な災厄なのだ、という著者の言葉に私は深く共感した.

生活保護などのセーフティーネットは近年益々ハードルが高くなっている。皆、自分の生活が苦しく忙しい中で、路上に倒れた人を見ても足早に立ち去っていく人も多い。それは「絆」とかの言葉では言い表せない心寒い光景ではあるが、同時に、立ち去らざる得ないほど人々に余裕がないのだろうとも思う。

しかし係わり合いになる事を避け、自分の家族、コミュニティーが安泰ならそれで良しとしていたら、何時かその家族、コミュニティーすらも破壊される時が来るかも知れない。

憲法二十五条の精神を具現化するのが生活保護であるならば、「水際作戦」などという誤った対応が許される筈がない。雇用保険から生活保護の間にも失職した人、働けない人達に対するきめ細かな行政サービスが必要だと思う。とても大きく大変な問題で、何をどうしたら良いのかさえも分からないが、「死者がいた場所」と私が今いる場所は地続きで、無関係ではないという事実を、心の何処かに留めておこうと思う。

「護憲+コラム」より
パンドラ


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