老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

JR岡山駅ホームでの突き落とし殺人事件の疑問

2008-09-27 21:47:31 | 社会問題
9・25のアサヒコムによれば、表題の殺人事件を起こした18才の青年に対し、「大阪家裁(小島正夫裁判官)は25日、第2回少年審判を開き、刑事裁判での審理が妥当として、検察官送致(逆送)とする決定を出した」とのことである。
http://www.asahi.com/national/update/0925/OSK200809250030.html

上記記事には報じられていないが、同日の朝日新聞朝刊は、少年は家裁の審判段階の精神鑑定では「広汎性発達障害」と診断されていた、と報じている。にもかかわらず、今回裁判長は刑事責任能力有りと認定し、刑事裁判での審理が妥当として、検察官送致(逆送)の決定を下したようである。

最近「広汎性発達障害」者の犯罪をよく耳にするが、このような障害者の初犯と再犯罪の確率は結構高いようである。小生も特別支援学校(旧名:養護学校)で教諭をしていた知人がいて、話を聞いたことがあるが、原因は先天的に脳のどこかに障害があり、その症状は千差万別のようである。

確か15年ほど前に、NHKテレビで「学級崩壊」という番組だったか、ある小学校の学級で、先生がいくら注意しても授業中に教室を歩き回る生徒が何人か居て授業が成り立たず、手を焼いて困り果て、指導方法が分からない、と悩みを吐露している番組があったことを覚えている方も居られると思う。

今はこうした障害を専門用語で注意欠陥多動性障害と呼ぶらしが、これも発達障害の一種のようで、現在は普通の小学校にもこのような障害の特質について専門知識を持った先生が最低一人は居て、授業の補助をして対応がなされ改善されつつあるようだ。一方重度の障害者は特別支援学校(旧養護学校)でほぼマンツーマン教育の体制が敷かれているようである。

また知人の話では、このような障害児は言葉も十分話せない2才位から、何らかの症状(例えば不満があるときは壁に頭突きをするなど)が現れるらしいが、親に発達障害についての知識がないと、単なる癖と思い気に止めない場合も多く、小学校高学年、中学校になっても誰も障害ということに気が付かずに、周りからは変人扱いされている場合も結構多いようである。

この年齢になると仲間からイジメやつまはじきにされ、またそれが積み重なって性格も歪んだり、不登校に陥るケースも多いようである。脳障害のため一生治ることはないようであるが、親が障害に気づくのが早ければ、それに合ったカウンセリングを親子で受け対応することで、症状の度合いも軽くでき、学校生活や社会への順応も大幅に改善されて行くようである。

本論に戻るが、当該事件を起こした少年は家裁で精神鑑定で「広汎性発達障害」と診断されていたと報じられているが、問題は、何歳頃から「広汎性発達障害」であると親が気付き、その上に立って親子で適正なカウンセリングと教育を受け、社会生活へ踏み出す心の準備が整えられていたのか、その辺りのことが家裁でも十分検証されたのであろうか、ということである。

仮に精神鑑定の結果が「広汎性発達障害」と出て、一定期間の面接聞き取りと鑑定調査による判定だけで刑事責任能力の有無を断定し検察に送致したとすれば、「広汎性発達障害」の内容に照らして不公正ではないかと思う。

更に親が少年の幼少時代にこのような障害児であることも知らずに、或いは知っていてもカウンセリング教育を受けさせられずにいたとするならば家庭の不幸と責任でもあるが、一方では教育の貧困と社会の責任でもあり、その結果が招いた事件ではないだろうか。

因みにインターネットに「発達障害」でアクセスすると関連記事が数多くあるが、その中からいくつか紹介させて戴きたい。これ等を読むと、如何に障害児への教育が大変で重要なことかが分かるはずである。

裁判長はこの18才の少年が幼児・少年時代に発達障害児教育をどれほ受けてきたのか、またその効果はどうだったのかを十分検証して検察官へ送致したのだろうか、また送致を受けた検察官も、発達障害についてのどれほどの知識があるのだろうか、との疑問を禁じ得ない。無知で裁かれるほど不幸なことはない。

何れにしろ発達障害者への教育と社会の理解と受け入れ態勢の充実(ノマライゼーション)を計っていかないことには「広汎性発達障害」者の犯罪を減らし、次の犠牲者が生まれないようにすることは難しい。

http://www.hattatsu.or.jp/hattatsu_shogai_toha.htm
http://osaka.yomiuri.co.jp/mama/medical/mm20070812kk01.htm
http://www.mkc.zaq.ne.jp/see-chan/kouhan.html
http://hattatsu.movw.net/?OVRAW=%E5%BA%83%E6%B1%8E%E6%80%A7%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3&OVKEY=%E7%99%BA%E9%81%94%20%E9%9A%9C%E5%AE%B3%20%E7%97%87%E7%8A%B6&OVMTC=advanced&OVADID=13167801541&OVKWID=113436791541

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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麻生氏の「憲法解釈変えるべきだ」発言

2008-09-27 11:08:29 | 自民党政治
誇れるのはDNA(これってどんなに努力したって変えられない。生まれ出た後の積み重ね・研鑽だけがその人の全てだと思っているが、政治は「家業」と心得ている輩が列をなしているこの社会では、とんだ心得違いと鼻で笑われるのがオチかもしれません)だけみたいな宰相殿が、言ってくれました。「集団的自衛権」の行使についての憲法「解釈」を変更すべきだと。

早速、留守を守る女房役などから「慎重に」の声が上がっているが、これとて選挙を意識してのその場しのぎ見えみえ。
 
「自主憲法制定」を掲げている党であり、その第一のターゲットが九条でしょうから、驚くにはあたらないが、この「解釈」と言う言葉・行為が大手を振ってまかり通ること、そのことにどうにもならない違和感を持つ。

憲法以下制定される法令には、すべてそれを必要とする社会的な背景がある。それが定められた社会的背景そのものに変化が生じたときは、それに対応する法令を新たに制定し、それまでの法令は廃止する。これこそが立法機関たる国会の存立意義なのではないのか。
 
新たな法令の制定は、その過程において必然的に衆目を集めることとなり、その当否・利害など根底からの検討が幅広く行われ、よって民主主義を支える「公開性」という一つの柱が守られることになるのではなかろうか。
 
「通達行政」などという「解釈運用」の常態化はもとよりのこと、一部改正などという机の下でゴソゴソやって、制定された当時の社会状況などその法令の本旨を形骸化しての「改正」などは、許されるものではない。近時、さまざまな弊害を振りまいている「労働者派遣法」などは、その好例であろう。

憲法もまた、当然過ぎるほど当然に「然り」である。「解釈憲法」などもっての外と言うべきである。現憲法が制定されてからのこれまで、「解釈」の名の下にいかに踏みにじり続けて来たことか(朝鮮戦争のときに、海上保安庁が戦闘行為の一端を担わせられていたという極秘事実すら最近明らかにされている)。

「法令に対する向合い方」を、よりシビアにする国民性というものは、どのようにすれば育っていくものなのだろうか。「お上任せ」というDNAは変わりようもないさ、の囁きが聞こえてきそうな気もしないでもないが。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
百山 
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