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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「小太郎の左腕」(著:和田 竜)

2015-03-01 18:47:27 | 【書物】1点集中型
 貸してもらう機会があったので読んだ和田作品の2作目。小太郎という1人の少年の無邪気すぎる優しさが、彼を常人ならぬ――少し「足りない」という意味での――存在のように見せていた。しかし小太郎が持っていた本当の常ならぬ資質とは、恐るべき射撃の腕だった。右ではなく、左腕の。
 「忍びの国」はタイトル通りもろ忍者ものだったけど、これも実際は忍者絡みだった。とは言っても忍び集団が出てくるわけではなく、小太郎の出自がそうだというだけで、いわゆる抜け忍みたいなものか。

 とある領主に仕える、小太郎の能力を知った武将、林半右衛門。主家を、領土を守らんがために、年端もいかない少年を戦に引きずり込むことの罪悪を理解しつつも、彼は小太郎の射撃の腕という「力」を選択する。その圧倒的な「力」は戦国を揺るがし、小太郎の人生も一転する。その能力が明るみに出るのを恐れたがゆえに、小太郎の祖父は孫を周囲の人間に近づけさせなかったが、むしろそうであったがこそ小太郎は「人並みになりたい」「皆と同じになって皆と仲間になりたい」という、子供らしい、しかし切実な願いを人知れず抱き続けていたのだった。
 その心情を吐露する小太郎の姿は、確かに胸を打つものではある。しかし、「人並みになるとは、人並みの喜びだけではない。悲しみも苦しみもすべて引き受けるということだ」という半右衛門の言葉は、そんな読み手の心情に一瞬、冷や水を浴びせるものでもある。そしてその言葉通り、小太郎は祖父を喪うという悲しみと、その復讐に燃える自らの心という苦しみを抱えることになるのだ。

 ただ終盤、半右衛門が覚醒する場面は少し強引な感じがした。小太郎の言葉が引き金になったとはいえ、結局同じこと2回言ってるだけで盛り上がりに欠ける。何かもうひと押し迫力が欲しかった。そもそも「人並みになるとは」どういうことかを小太郎に説いたのが半右衛門であるのに、自分の偽りにあれほどあっさりと押しつぶされてしまい、抜け殻になってしまうことからしてちょっと納得いかないし。ああいった手前、強がりながら葛藤してほしかったなぁ。その点が残念。
 でもラストはさもあらんという感じで、「こんなことなら、もうわしは人並みになろうなどとは思わん」。大人の論理に巻き込まれた少年の姿が痛々しい。大人は子どもをこんな目に遭わせないためにこそ戦うべきなのではないかと、漠然と感じた読後であった。