まさかまさかで「東南アジア四次元日記」と続けて読んでしまった。こちらがタマキングこと宮田氏のデビュー作だったということ。
タマキングの本は表紙もおかしな雰囲気を醸し出していることが多いのであるが、この本はまた格別である。しかも、そんな格別の表紙(と本文中)の妙なイラストはタマキングの手になるものだったと、本屋で何度も見かけているわりには今さら知った。
なんというか、この鼻毛おやじの顔がすでに「理不尽」な感じで、っていうかここ(表紙)に鼻毛おやじの絵があること自体がすでに理不尽で、ということはものすごく秀逸な表紙なのかも。と今思った。
で中身の方はといえば、もちろんくだらなさ満載の脱力系であることには変わりない。が、不安とか言いながらも行く先々でその土地になんとか合わせて旅しているタマキングがちょっとうらやましくなってしまうのも事実である。
特に、「坊主オブ・ザ・イヤー(ブータン)」の冒頭、風の旅人はとりあえずおいといて(笑)、「日本人同士で行けば場の空気は日本にいるのと同じ」とか、「聞こえてくるのはまず日本語であり、(中略)結局、あたりは日本の分子に満ちているわけだ。これでは、日本という薄皮で包まれたギョーザになって旅をしてるようなもの」とかいうくだりは、真面目に納得してしまった。要するに、小心者の私自身が、いまだ海外ではそんなギョーザになったことしかないのであった。うう。痛いとこ突かれたー。
この本、当時自費出版のデビュー作と言われれば確かに荒削りな感じはしないでもないが、「素敵な私」的表現とか(笑)、決め台詞(と私が勝手に思っている)の「ふざけてはいけない。」とか、荒削りでも根本的にタマキングはタマキングである(ふざけてはいけないの頻度は多分今よりちょっと低めだけど)。なので、笑いたい人は読んでおくに如くはない。
タマキングの本は表紙もおかしな雰囲気を醸し出していることが多いのであるが、この本はまた格別である。しかも、そんな格別の表紙(と本文中)の妙なイラストはタマキングの手になるものだったと、本屋で何度も見かけているわりには今さら知った。
なんというか、この鼻毛おやじの顔がすでに「理不尽」な感じで、っていうかここ(表紙)に鼻毛おやじの絵があること自体がすでに理不尽で、ということはものすごく秀逸な表紙なのかも。と今思った。
で中身の方はといえば、もちろんくだらなさ満載の脱力系であることには変わりない。が、不安とか言いながらも行く先々でその土地になんとか合わせて旅しているタマキングがちょっとうらやましくなってしまうのも事実である。
特に、「坊主オブ・ザ・イヤー(ブータン)」の冒頭、風の旅人はとりあえずおいといて(笑)、「日本人同士で行けば場の空気は日本にいるのと同じ」とか、「聞こえてくるのはまず日本語であり、(中略)結局、あたりは日本の分子に満ちているわけだ。これでは、日本という薄皮で包まれたギョーザになって旅をしてるようなもの」とかいうくだりは、真面目に納得してしまった。要するに、小心者の私自身が、いまだ海外ではそんなギョーザになったことしかないのであった。うう。痛いとこ突かれたー。
この本、当時自費出版のデビュー作と言われれば確かに荒削りな感じはしないでもないが、「素敵な私」的表現とか(笑)、決め台詞(と私が勝手に思っている)の「ふざけてはいけない。」とか、荒削りでも根本的にタマキングはタマキングである(ふざけてはいけないの頻度は多分今よりちょっと低めだけど)。なので、笑いたい人は読んでおくに如くはない。