life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「アウシュヴィッツの図書係」(著:アントニオ・G・イトゥルベ/訳:小原 京子 他)

2017-06-13 23:40:07 | 【書物】1点集中型
 多少の脚色はあるそうだがノンフィクションベースの、アウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所に生きた人々の物語。
 収容所のBⅡb区画〈家族収容所〉の31号棟というバラックは子供専用だったという。収容されていたユダヤの人々は、そこを密かに「学校」とし、たった8冊だけの本の「図書館」が設けられ、さらに一人の少女がその本を管理する「図書係」となった。

 図書係の少女ディタ、彼女の両親と友人たち、そして「学校」と「図書館」をリードする青年ヒルシュはじめ、子どもたちを見守る大人たち。人間を人間として認めない収容所にあって、生きていくことは想像を絶する厳しさと残酷さの中にあった。眠る場所を確保するだけでも必死に知恵を絞らなければならず、自分の命を守るために支配者であるSSに同じ囚人たちを密告する者も少なくない。
 かと思えば、囚人たるユダヤ人に恋をし、真剣に彼女とその母を救おうとするSSの青年も登場する。相反する環境課の一人ひとりの彼や彼女の、人間としての感情がありありと映し出される。「憎しみと愛は、どちらも自分で選ぶことはできない」。体制を善と悪に分けることは簡単だが、こうした個々の人の姿は、体制という狂気が人間にもたらす矛盾と悲劇そのものだ。

 数千人の生死があまりにも簡単に分けられていたことに改めて憤りを覚え、生き残った人々の、死ぬために生きていかなければならないような日々の描写に暗澹たる思いになる。まさに決死の計画で脱出して外部に訴えるという奇跡が起こったというのに、その訴えすらも耳を貸されなかったことについても衝撃を受けた。ガス室へのトラックへ乗せられ、死の途につく中での人々の歌声にも……

 そんな苛酷な環境下でディタが出会った数少ない、だが家族収容所の人々や彼女の人生にとって貴重な存在であった本。彼女に世界の広さに思いを馳せさせた地図帳や外国の文字で書かれた本、過酷な環境下に生き抜く勇気を与えた「兵士シュヴェイクの冒険」や「モンテ・クリスト伯」。物語の中でのシュヴェイクのエピソードやダンテスの人生が紹介されていて、それに対してのディタの思いが重ねられることでより心情に引き込まれるし、それほどに人を勇気づけるシュヴェイクの物語に自分も触れてみたいと思った(「モンテ・クリスト伯」はもともと個人的に大好き。「魔の山」は何気に未だに読んでいなかった……)。

 本編では謎のままだったヒルシュの死の真相が、「著者あとがき」でほぼ明らかになっていることにほっとした。そのほか、作中に名前が出てきた人々についての「その後」が記されているのも、これが紛れもない現実であったことを改めて認識させてくれる。
 人類には、忘れてはならない物語がある。この物語は、あの時代のあの場所にあった全ての人々の生命と、人々を支える力となった本という存在への賛歌だと思う。