life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「コズモポリス」(著:ドン・デリーロ/訳:上岡 伸雄)

2013-10-17 20:42:08 | 【書物】1点集中型
 文庫の裏表紙の粗筋に「サスペンス」という言葉があった。見返しの著者紹介には「毎年のようにノーベル文学賞候補としてその名が挙がる」との文言があった。サスペンスとノーベル文学賞がどうも結びつきにくい感じがあったのだが、主人公の思惟を描く冒頭数ページ読んだ時点でも、やっぱりあんまりサスペンスっぽい雰囲気を感じなかった。で、読み進めて読み終えてみたら、やっぱり私の中では最後まで、ほとんど一瞬たりともサスペンスという印象は受けなかった。
 サスペンス的なものを読むつもりで読み始めたので、そういう意味での拍子抜けはあった……が、全体として実はかなり、読んでよかった! と思っている。デリーロ作品を読んだのは初めてだったが、非常に好みである。っていうか、28歳とは思えないよエリックの頭の中。合田雄一郎かと思ったよ(笑)。

 エリックのリムジンの中に並ぶディスプレイ・ユニットやスパイカメラ、声や動作だけで操作できるシステム、スクリーンにもなる腕時計の文字盤といったギミックとか、0と1の流れがかたちづくる世界のイメージ、それに「ディスク上で生きることができる」というキンスキーの言葉とか、そこここにSFっぽい空気も感じる。それでいて、ひとつひとつの出来事はどこまでも今この時代にあって不思議ではないことばかり。
 彼が、自分で打ち抜いた自分の「手が人生すべての痛みを抱えている」。スタンガンで撃たれること。彼が想像したいと思った、焼身自殺した男の苦痛。物理的な痛みがあるから、人間は物体としての存在の限界を知るのだ。肉体を超越したいと思っても、「ディスク上で生きる」ことはやはり不可能なのだ。思考も、身体も、形あるものもないものも、すべてが自分だから。0と1にはなり得ないから。

 ……と、こう言うと、自ら好んで読んでいる、人間がサイバースペース上にデータ化された世界を描くSFを否定するような形にもなるのだけれども(笑)。でもそれこそ0か1か=存在するかしないかの話ではなくて、存在としての人間がどれほど割り切れないものであるか。人間を人間たらしめるものは何か。実際、SFでも、デジタルな世界を描くことによってそういう点を引き立たせているものが多いと思うし。形に残る痛みも、残らない記憶も、他の誰でもないその人にしかないもの。そういうことなんじゃないかなと思う。
 なんか久しぶりにハマる作家に出会った、と思えるのがいちばん大きな収穫かな。何が核心の事件なのか、山があるのかないのかわからないようなストーリーだけど、主人公の思惟に引き込まれて妙に癖になる。その思惟そのものを読み返したくなる。「アンダーワールド」と「ホワイト・ノイズ」あたりは是非読んでみたい。