life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「この絵は、純粋か?」 没後80周年 佐伯祐三展

2009-04-29 20:18:54 | 【日常】些事雑感
 さて今日の本題です。よもや札幌で佐伯祐三メインの展覧会があろうとは、望外の喜びです。←大袈裟
 でも眼鏡忘れましたorz いや、近くは普通に見えるけどね……またやってしまった……と思いつつ、入ってみたら休日のわりに空いてました。まあ、実際は空いてること自体予想通りだったんですが、眼鏡ない日だったので余計ありがたかったです。はい。

 なので、比較的周りを気にすることなく堪能できました。国立近代美術館の常設にある「ガス灯と広告」は来てなかったのでその点は多少残念だったのですが、それでもこんなにまとまって見られる機会はそうないと思うので。少なくとも、「大阪市立近代美術館建設準備室」なる名称から「建設準備室」が取られるまでは。(どうやら、山本發次郎氏蒐蔵の佐伯祐三作品が市に寄贈されているようです)

 学生時代からパリ渡航前後はどっちかというと印象派ぽい作風です。「裸婦」はもろルノワールな感じだし。人物画は特に目のまわりをぼやかしているようなタッチが多い印象。
 それがパリに渡って、里見勝蔵の引き合わせで出会ったというヴラマンクに「アカデミック!」と一喝されたとか。その衝撃が画風に大きな変化をもたらしたそうです。
 ペインティングナイフで、筆で、これでもかと執念のようにべったりと塗り重ねられた絵の具の厚み。混ざり合う色の陰影。あまりに有名な、顔を削った「立てる自画像」の裏に(!)描かれた「夜のノートルダム(マント=ラ=ジョリ)」は、一見真っ黒にも見える画面に様々な色が混ざり、積み上げられて凹凸を作っていました。暗闇に建つ寺院の重い姿が、入口にさす仄かな灯かりの赤と、建物と同化しそうな夜の空に小さく光る星が(しかも、本当に☆型で)まるで佐伯自身の追う希望のようにも見えました。
 それにしても、ヴラマンクの絵を見ると、いかにこの巨匠が佐伯に影響を与えたかが明らかでした。ユトリロにも影響を受けたとのことですが、でもヴラマンクの比重の方がだいぶ高そう。全体的に暗めの色使いながら、雪の白とのコントラストがその筆致同様に強烈な印象を残します。彼に師事した里見勝蔵もまた然り。

 そんな中で、佐伯の描くパリはだんだん街並みという引きの視線から建物そのもの、それもさらにクローズアップするような壁面へ移って行って、扉に記された店の名前や、壁や門に貼られた広告の文字が少しずつ増えてきました。
 「広告のある門」や「ラコルデール街」では、書いてあることはこちらにはわからないし(フランス語がわからないから)、それ自体には深い意味はないんだけども、ある種モノクロのように見える「壁」に彩りとリズムを添える存在のように感じました。

 帰国したのは、体の弱さを案じる母親を気持ちを汲んでのことだそうです。パリに戻る間その短い間、アトリエのある下落合周辺の下町風景を描いたり、港に停まる帆船を描いたり。自身は、日本には自分の画風に合う風景がないと言ったそうですが、それでもその作品からはパリとは違う日本らしい空気が伝わります。
 30分で描き上げたという「蟹」なんて、迷いも何もない。たった1回で引かれた1本の線が、蟹の脚以外の何ものでもない姿でそこに存在している。その画力をまざまざと見せつけるような作品だと思います。
 ただ、佐伯自身が描きたいと望んだのはやはりパリだったし、「佐伯祐三の作品」が作られていくのも、やはりパリでこそだったということなのでしょう。

 2度目のパリ時代では、広告の文字がさらに目立つというかそれが主役ですらあるような作風に進んでいました。黒を基調にした木立や道行く人々、建物の輪郭線の中で、鮮やかな色彩の広告や壁の色が躍るように息づいている感じ。
 個人的には、左に建物の壁、中心から右に並木道を描いた方の「オプセルヴァトワール付近」、右下に描かれた人物の服の赤。それと「新聞屋」の一見乱雑に挿されている色とりどりの種類の新聞と、真っ暗な店の中の対比。あともう1つ、「バーの入口」の、一面に描かれた店の扉の落ち着いた燕脂色と、貼られたポスターの白地にアクセントをつけるトリコロールカラー。そういう細かな色使いが、佐伯らしい荒々しいタッチと同様にとても印象に残っています。
 佐伯祐三のそういうポイントポイントでの配色は、どこかおしゃれっぽくもある。それもパリという土地が持つ空気ってことなのかなぁ。そしてやはり佐伯祐三の絵は、それを伝えるだけの力があるということなんだと思います。

 絵筆を持てる間の最後の3ヶ月の作品は、黒く力強く引かれる輪郭線がより存在感を増しているように見えます。「煉瓦焼」あたりになってくると平面構成的ですらあったんですが、でもだからと言って奥行きが全く消えたわけでもない。たとえ輪郭線がなかったとしても、地の色の塗り方だけで描かれているものが何であるかはわかると思います。
 「村と丘」は、外で描いているその間に小枝が飛んできてキャンバスに張りついてしまったものを、そのまま生かすともなく絵の具で塗りこめてしまった作品だそうです。枝を除ける1分1秒も惜しかったのか、まるで、生き急ぐ佐伯自身の姿を象徴するようなエピソードです。

 パリ時代の作品にはあまり人物の表情は出てこないのですが、「カフェ・レストラン」ではこちら側を向いている人物が4人もいます。写生旅行先のモランでの様子だとか。「郵便配達夫」もそうですが、人物の目の輪郭がきっちりと引かれていて、瞳はほとんど単純に黒く塗られているだけ。見ようによっては茶目っ気のある表情で、でも真っ直ぐにこっちを見据えるような目をしています。
 佐伯は、よく自作について「この絵は純粋か?」と友人に問いかけていたそうです。その純粋さが、この目の表情ひとつにさえ溢れている気がします。佐伯自身が芸術を見つめる目、パリを見つめる目、自分自身を見つめる目が、鏡の如く映し出されているような。

 情念を塗りこめたような壁の色も躍る文字も、画家の命を燃やして描かれたもの。斬りつけるような、というよりは叩きつけるような迫力が佐伯祐三の作品にはあるのだなと、改めて感じた1時間ちょっとでした(意外と時間がかからずに回れた)。今度は、ゴーギャン展のついでにまたまた「ガス灯と広告」を観に行くことでしょう。(笑)

久しぶりに近代美術館。の前に腹ごしらえ

2009-04-29 11:52:54 | 【日常】些事雑感
 せっかくだから西18丁目近辺のお店を探して、行き着いたのが今日は「cafe agog」です。ドッグカフェというか、犬を連れて入ってもよいそうです。(ドッグランはないけど)

 いただいたランチは期間限定の、野菜がたっぷり入ったトマト味噌うどん。野菜は白菜がメインで、あとはじゃがいも、人参、もやしに玉葱、トマト、さやいんげん、さやえんどう、水菜、大根、ブロッコリー。あと挽き肉少々。トマトと味噌(風味)が意外と合います。うまかった♪ 鍋にいいかもしんない。
 玄米の俵ご飯がついてたので、スープにつけて食べてしまいました。ごちそうさまでした。