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「フェルマーの最終定理」 (著:サイモン・シン/訳:青木 薫)

2009-04-21 23:51:16 | 【書物】1点集中型
 A●azonでのレビュー数の多さにまず目を惹かれ、さらに「数学音痴でも面白い」といった内容に惹かれて、中古ですが買ってみました。そもそも、何か別のものを探してて横道に逸れて辿り着いたんですが、最初にどういうものを探してたんだかもはやすっかり忘却の彼方です。

 それはそうと、これは面白かった。私自身、算数から数学に進んだ途端に全くもってダメになった口で(笑)「フェルマーの最終定理」の大元というか根底にある「ピュタゴラスの定理」の存在すらも忘れていたわけですが、そんなレベルの私にすらも非常にわかりやすい内容です。
 参考までに、この2つの定理について文中より。

ピュタゴラスの定理
x2+y2=z2
直角三角形の斜辺の2乗は、他の2辺の2乗の和に等しい。

フェルマーの最終定理
xn+yn=zn
この方程式はnが2より大きい場合(n>2)には整数解をもたない。


 ピュタゴラスの定理の証明は、作中の補遺を参照すれば充分理解できます。が、しかし「2乗」が「n乗」になっただけで「解がなくなるということを証明」することは、ものすごい難問になったのです。

 もちろんこの本は、「フェルマーの最終定理」の証明そのものを詳細に解説しているわけではないです。というか、それこそ一言一句解説されたところで素人には理解できないだろうし。ただ、古代ギリシア以降の数学の歩みに始まり、自然数はもとより分数・小数、有理数・無理数、実数と虚数など(当然、虚数なんてこれを読むまで思い出しもしなかった)、今でこそ何の疑問もなく使っているそれぞれの「数」の概念が生み出された経緯や、その「存在」をどうやって「証明」あるいは「定義」したのかなども記されてあります。
 そしてそういった数学の歴史を踏まえて、この史上最高であった命題――「フェルマーの定理」――がどのようにして生まれ、また実に3世紀余りにわたって数学者たちがこの命題にどう挑み続けてきたかが、時代背景や数学者の人物像も交えて丁寧に描かれています。まさに壮大なスケールのノンフィクション。

 作中には、数学という学問を表現する「美しさ」とか「エレガントな証明」といった言葉が何度も出てきました。今まで、それらの言葉が数学に結びつくことを想像すらしたことがありませんでしたが、読み進めていくとそういう言葉もすんなりと頭に入ってきます。
 数学の持つ「完全性」、言葉通り「完全」でなければ「定理」としては認められない厳格さこそが導く美しさ。「数学」というのは本当はこういうものなんだということ。数学者と言われる人々の考え方をこうやって解説してもらうと、「学校でこういう風に教えてくれたらよかったのにー!」とか思ったりもしました(笑)。まあ、「証明」という行為自体は「発想」ができなかったら辿り着かないものだったりもするんで、結局は同じことなんですけど。
 それでも、とにかく数学者たちの「考え方」には目から鱗が落ちる思いではありました。だからこそ最終章にあるようなコンピュータの演算能力に基づく「力ずくの証明」よりも、論理として証明された定理に美しさを感じるわけです。「答えはわかっている、だけど理由はわからない」という状態では「定理」とは言えないと思うからこそ数学者たちはフェルマーに挑み続け、ついにその壁を破ることになったのでしょう。

 しかし、命題を解く数学者も素晴らしいですが、命題を見つける数学者も素晴らしい。どこをどう押したらそういう話が出てくるの? みたいな感じ(笑)。フェルマーの最終定理にしても、そもそもなんだってそういう定理を(フェルマーが)証明する気になったの? というのが素人の素朴な疑問として残るわけですが、数学者たちにとってはそれこそ「そこに山があるから登る」ということなんだろうな、と思います。もちろん、その証明によって他の予想(=定理未満)が芋づる式に証明されていくという利点があるものも存在しますし(……ということを、この本で知った)。
 
 それから、第2次大戦中の暗号解読についても作中若干触れられていますが、サイモン・シンの他著にその名の通り「暗号解読」というのがあります。まんまと今回ハマったので、この「暗号解読」もいつか絶対に読もうと思っております。だって、手がかりはあるにしても、この膨大な組み合わせから実際にどうやって解読したんだ? ってのが気になって仕方ない。(笑)