心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

この歳になってマンガを読む

2019-06-26 10:48:58 | Weblog


 梅雨を通り越して、もう夏ですねぇ。ここ数日、大阪は暑い日が続きます。それでも日陰に入ると少しひんやり感のある微風が舞う、なんとも不思議な天候です。今朝も日出と共に小窓越しに柔らかな陽の光が差し込んできます。窓辺のイチジクの実も大きくなってきました。天気予報では来週から小雨舞う日々が続くのだとか。梅雨入りかも。おとなしくおてんとうさまの言うことを聞くことにいたします。
 そういえば、土佐の国を歩いていたとき、田圃の畦道に無造作に捨てられていたサボテンの葉をひとかけらもって帰り植木鉢に挿していたところ、頂点に芽が出てきました。その後ずんずん大きくなって、こんな姿になりました。いったいどこまで伸びるんでしょうね。
 話は変わりますが、この4月から家内が地域のボランティア活動に復帰して以後、家の中の空気感も変わりました。週に1、2日は駅前のセンターに常駐したり、その合間をぬってステンドグラスを習いにでかけたり、逆にフラワーアレンジメントの先生役を務めたり。いまは七夕祭りの折り紙づくり体験の準備に余念がありません。そんなある日、地域のフリーマーケットに、
これまで時間潰しに作ってきた小間物を出品したようです。日曜日には、小学1年の孫次男君が応援に駆け付けました。閉店間際になるとタイムサービスとばかり格安で提供したのだそうですが、その看板を孫次男君がつくったのだとか。スーパーマーケットでのお買いものには慣れていても、お店でのお買い物経験は少ない彼、結構楽しんだようでした。これも職業体験かも(笑)。

 前書きが多すぎましたね。ここでやっと本題に辿り着きました。たまたま新聞でみつけた「マンガ古典文学」(小学館文庫)。講座で時々古典文学に触れることがありますが、この歳になると読み込むのに少々お時間がかかります。そのお手伝いをしてくれるのが「マンガ古典文学」シリーズです。店先でまず手に取ったのは「古事記」(里中満智子著)。おおまかなストーリーを見通したうえで原典にあたれば違和感がないかもしれない、と思った次第です。古事記の世界が広がります。
 そんなある日、新聞の記事下広告にあったコミック版「二十歳の原点」(原作:高野悦子/双葉社)が目にとまりました。帯には「今のままじゃダメだと感じている全ての人に」の文字。そして「学園闘争がピークを迎えた1969年、立命館大学に在学中の高野悦子が遺した魂を揺さぶるメッセージ」とあります。
 高野悦子著「二十歳の原点」(新潮文庫」。学生時代になんどか読み返したことがありました。若き日々を悩みながら生き最終的には自ら死を選んだ高野悦子さんの残した日記をまとめたものです。1969年といえば50年も前の、学生時代真っただ中の頃。まだ市電が走っていた京都の風景がぼんやりと浮かんできます。
 文庫本と違って、あくまでもコミックですからある意味軽さは免れませんが、当時を思い出す契機にはなります。紀伊国屋書店の、ふだん歩いたことがないコミックコーナーを捜しても見つからない。仕方なく若い女性店員さんに探してもらう70歳近いおっさんの姿。すんなり見つかりました。本の表紙を見て少し照れました(笑)。
 仕事人生を終えた今、何となく学生気分で講座運営のお手伝いをしていますが、考えてみると半世紀、50年も前のことになります。この土曜日に水彩画教室の先生の絵画展を覗いて見る予定なので、久しぶりに京都の街を徘徊してみたいと思います。

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