デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(三浦みどり訳)『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫)、読了。

傷痍軍人が帰国後に受けた仕打ちを描いた映画で子どもの頃に衝撃を受けた作品としてS・スタローン主演「ランボー」がある。また最近、紛争地域や戦地での凄惨な体験を綴った本で印象深いのは旗手啓介『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』、安正孝(アン・ジョンヒョ)『ホワイト・バッジ』があるのだが、アレクシエーヴィチが"小さき人々"から聞き取った第二次大戦の証言文学『戦争は女の顔をしていない』に収録された内容は、上に挙げた映画や本と共通するところも少なくないものの、それでいてまるで異なるような、誤解を恐れずに書けば多くの人にとって新たな衝撃を与えるものだろう。
第二次大戦中の独ソ戦ではソ連から100万人以上の女性兵士が従軍していたこと、看護や食事を供給する後方部隊の役割の兵士だけでなく、最前線で実際に戦闘行為を行った女性兵士たちの証言が収められているのが『戦争は女の顔をしていない』であることにまず驚いた。ソビエト時代、この本の内容が戦勝国の物語としてふさわしくないとしてペレストロイカが進むまで出版はされなかった。それは戦争について男の英雄譚的な視点からしか語られてこなかったことを意味しているといえるが、作品に出てくる女性兵士や女性レジスタンス、女性パルチザンの目を通して見ると、やっぱりこれまで戦争が男視点からしか、つまりは女性視点からのもう半分の戦争は語られてこなかったともいえる。
具体的内容についての感想を書くことは正直厳しい。何を書いても私の書く物は薄っぺらい内容になってしまうように思う。私がいうのもなんだが、証言には戦時中の日本と酷似している内容も多く、16~20歳の年齢で前線に志願して行った女性兵士の心情であり信条として「国と私は一心同体」であったこと「自分は不死身だと思っていた」こと、戦地で負った傷だけでなく、帰郷してから負う傷のあらゆる生々しいエピソード、それらを、およそこの現代に情報が溢れているなか却って戦争のことを軽んじロマンティックにさえ描くような夢想にしか接しない人々にぜひ読んでいただきたいものだ。


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