デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



弥勒仏の頭部のように見えた






私以外に入場者は入ってこない模様…


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白先勇『台北人』(国書刊行会)読了。訳者は『講座台湾文学』の執筆者および編者の山口守氏である。
『講座台湾文学』のなかで触れられていたいくつかの作品の内、とりわけ印象に残った作品の一つが、白先勇の『台北人』という"台北にやってきた人たち"が主人公となっているノスタルジアをテーマにした作品だった。
この作品、私にはかなり難しかったと思う。書いてある内容は理解できるのだが、作中の登場人物たちの人間模様や個々人の望郷の念のすさまじさに心底共感し得なかったゆえの難しさというべきだろうか。
とにかく、台湾現代史や台湾文学についての本を読んで少し台湾の歴史を知ったところで、『台北人』に描かれる失われてしまった故郷への絞めつけられるようなノスタルジックな思い、喪失の思いを到底理解できないという感じは私の中で強くのこった。
さらにいうなら、文芸作品でこれまで特異性がありリアリティー溢れる「ノスタルジー文学」をまともに読んだことがなかったのではないかとさえ思った。逆に言えば、私がこれまで読んできた主な西洋の小説に出てくる「ノスタルジア」はどこか遠い国の絵空事にすぎなくて、台北という都市が日本と地理的に非常に近いというだけでなく、現代の歴史も共有していることを意識させられる文芸作品でもってようやく、望郷や今や存在しない故郷や新たな土地に住んだ人たちの子孫(二世)が直面する「アイデンティティ・クライシス」について考えるきっかけになるのではないかという気がする。

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ちょうど真裏にまわってきた






この雑然とした感じがかえって生々しい




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いい具合に木が日影を作ってくれる






仏像の頭部だけが静かに置かれている










建立が始まった年代にも因るのだろうか、ワット・プラ・ラームはのちに建てられたワット・チャイワッタナーラームやワット・プラ・シー・サンペットと比べると少しこじんまりとしているように感じられた。

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熊手が(笑)



タイ仏暦では正直ピンとこなかったが14世紀後半に
建てられたととなればその時代はアユタヤーで起こっ
ていた二大勢力の争いが終わり、統合した時代か。









ワット・プラ・ラームも修復されているところは
あるが、こう直角だときれいすぎるというか(笑)


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先月下旬、愛宕山の方だけやたらと
雨が降っている空模様に出くわす



雲がだんだん



北へと






レーザーのような夕陽に



気をとられていたら



雲が北に流れていかず雨が徹底して同じ地域に



そこまでして降らんでも…


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ワットの名を冠しているだけあって寺院の跡だ



上がってもよさそうだったが上がるのが憚られる



丁度ワット内の整備が行われているようだ


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数日前、丁度いい気持ちよさ程度に気温が下がって秋めいた天気になった。普段の運動も随分やりやすかったのだが、夕方以降に少々肌寒いという感じは覚えていた。それでも着替えをもっていなかったこともあって昼間の格好のまま読書していたのだが、それが一番まずかったらしい。
その翌日の昼間に体がだるいというか、ガクンとなる感じにおそわれた。頭痛も生じだし、こりゃダメだ夏風邪をこじらせたと自覚した。
もう治りかけてはいる。これからは一日の最高気温と最低気温の落差がはげしい季節になるので、体調管理により気をつけねばと思った。

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