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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




仮説を裏付けるような他に人為的な跡が無いか、足腰のトレーニングもかねて四度目の幻の滝へ。














誰か積み石をしている人がいるな(笑)


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露出をミスした。










この日は70歳を超えたお二人を案内する形で幻の滝に行った。うちのお一人は以前行ったことがあるものの、行き方を忘れてしまった、しかし新緑のころにぜひもう一度行きたいと思っていたとのことだった。


中尾の滝まで下りてきた




年配のお二人が昨年の台風のせいで荒れた中尾の滝までの山道をうまく抜けられるか少し心配だったが杞憂であった。無事に下りることができて本当に良かった。

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この時とは別の日。70歳を超えた登山者お二人をご案内した。
















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日々のエクササイズについて、私は自惚れていたねぇ…。

幻の滝に人様を案内して行った日だったが、山に登る前に私にとってはいい刺激および反省すべきことがあることに気づかされる体験をした。
山登りの前、懸垂ができる器具のある公園に立ち寄った。いつもの懸垂をする時間ではなく、家から外出して間もないから体力的には余裕がある状態だった。
器具のある場所に年配の男性(以下、爺様と記す)がその孫と思わしき小学校低学年の児童の遊び相手をしていた。私は運動がしたかったので器具を使わせていただけるようお願いし、爺様が丁寧かつ親しみを感じさせる口調で「どうぞお使いください」とおっしゃった。すると孫が器具にぶら下がろうとしたので、それをきっかけにぶら下がって腰を伸ばすことやその他健康についての話になった。
すると爺様は「わし、腰を痛めてからなかなか機敏に動くことができないのですわ」と言いながらゆっくり器具にぶら下がり、懸垂を始めたのである。私は正直おどろいた。孫がいるご年齢でなんという力強さだろう!と。
爺様が私にいろいろとお尋ねになったので、「とにかく1セット10回を安定してできるようになりたい、今は10回できるときがある」ことを伝え、私は人様が見ている前だから頑張ろうと意気込み、ぎりぎり懸垂を10回することができた。
爺様が黙って数えてくれていて「10回にいったね。毎日努力する人はわしもすごいと思うよ」とおっしゃったので、私は心中有頂天になり、正直とても気分が良くなったのだ。私も「お孫さんがいらっしゃるご年齢で力強い懸垂をされて、驚いております」と返した。
すると爺様が「私これをやってるんですわ」と右手の拳を私に見せた。私は目を剥いてさらに驚いた。明らかにやわな私の拳とは違い、長年空手をやっている拳なのだった! すると孫が「おじいちゃん、パンチする」と言い出した。爺様が「よし、打ってこい!」と腹をぐっと出して子供の拳を平気な顔して受け始めたのである。これがこの二人の「遊び」なのだ。私があんぐりと口をあけたまま驚いていると、爺様が「道場でも生徒のを受けてますわ」と言うのである。
拳のことは分かったといえ、拳を見た後に爺様の腹の形に気づかなかったのはやっぱり私の目は節穴だった。よく見たら爺様の腹が年齢を重ねて何も鍛えないまま体型が崩れたポッコリお腹じゃないのが、孫とじゃれ合っている様子で分かった。長年のトレーニングに加え稽古で生徒に打たせて鍛えられた、格闘家の腹なのだ。(以下、爺様を先生と記す)
先生は「大人の拳も稽古で受けてるよ」と軽くにこやかに言った後、私に向かっても「どうぞ打ってみてください」と構えるのである。私が本当にいいのかどうか分からず、とりあえず半分の力で恐縮して打ったが、先生は「もっと強く」と言うので、私なりに力をこめてさらに打ったが先生は「もっともっと強く!」と堪える様子は微塵も無い。それどころか私の拳のほうが先生のカチンコチンの腹からの反作用でヒビ入りそうに思えるくらいの衝撃をもらった(笑)。
私があまりのことに、とにかく驚きました、としか言えなくなった時に、先生は、もし空手に興味が湧いたらぜひ連絡をとサッと名刺を出し、運動後の食べ物の話になるとまたすかさず「わしの娘がパン屋をやってますねん」とパン屋の名刺まで渡してくれるのだ。二重の驚きの後に畳み掛けるような営業トークが私に炸裂し、私はパン店を訪ねたくならないのがおかしい気持ちになってきたのである。すごい人は周囲に派手に見えたりすることはせず、接していくある段階のポイントで相手に悟らせ引き込むものをもっているのだ。この場合、私は能ある鷹に爪を効果的に出されたといえるだろう。

孫が「おじいちゃん、他の公園行きたい。行こー」と言い出したので、先生は孫とともに公園を出る準備をはじめた。私が頭を下げつつ、とてもいい刺激になりましたとお礼を言ったら、先生は「わしも今日みたいなことがあったらあなたのこと忘れませんわ。よかったら道場見に来てください。ではまた」と言い残し、颯爽と孫と去って行った。
私は思った。人前で10回懸垂できて、やったー!証人もできた!と思ったところに、私よりも数十段も格上の人と出会う、それも孫をつれてるご年齢の人と。私なんかよりすごい人は五万といるどころか五千万以上いるということを自覚させられ、結果的に若造の私が健康云々について釈迦に説法していたことになる、、、一瞬の有頂天の直後、もっとすごい人と出会う、世の中うまくできてるわ(笑)。

この出会いがあったあと、山登りを始めたきっかけやそれと併せて上半身を鍛え始めたきっかけについて、思い起こしてみた。すると、ちょっと私は自惚れていたのではないか、という反省の念が頭をもたげてきた。というのは、最初は自分のためであったことが、いつしか山でよく出会う方々に懸垂が何回もできるようになったことを褒めてもらいたくて続けるようになっていたと思うのである。運動を周囲に目立つようにやっていればそりゃ「がんばってるね!」と声をかけてもらえる。しかしそれを鼻にかけるようになってしまったら、よく出会う方々であろうがなかろうが私が何回できるようになったかどうかは、どうでもいいことだし知ったことじゃないことかもしれないことに気づかないのだ。先生との出会いは、自分の運動がそもそも周囲の反応のためにやっていたことじゃない、そのことに気づかされるきっかけにもなった。

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再びやってきた












「滝」の部分









「滝」の部分の全体図はこんな感じ

この画像を撮った時、私の中で沸々と幻の滝がなぜこれらの奇岩と自然の岩が混在しているのか、その答えになるかもしれない仮説を立ててみたくなった。
改めて幻の滝を見て、仮説を思い付く前にまず頭に浮かんだのが、ローマの旧アッピア街道沿いにあるマクセンティヌス競技場跡であった。紀元4世紀、ローマ帝国の皇帝であったマクセンティヌスは競技場の建設をすすめていたが、コンスタンティヌス帝との戦いで敗れ戦死したことで競技場の工事は中断、そのまま長い時が経ってしまい遺跡になってしまったのがマクセンティヌス競技場跡である。
マクセンティヌス競技場跡のことを思い出した私は、今の幻の滝の場所でも、昔、誰かの命令で、かつて幻の滝の木の根の周りの壁面から石が切り出されたのではないか、あたかも滝つぼを構成しているかのような奇岩はそもそも壁面についていたものではないかと思ったのである。
奇岩がもし切り出された岩ならば、それを麓まで運ぼうとしたのか、それともこの場所に新たな建物を築くための土台にしようとしたのか、そのあたりは何ともいえない。ただ、私は石を切り出したものの石を使う側の人間が戦の展開や政策の変更、経済的に困難、単に運ぶのに難しい、いい石を採れる他の場所が見つかったなどの理由で、運搬や工事を続けるにも岩の用途の目処が立たなかった、なので切り出された岩が放置され、当初の目的が忘れ去られてしまい時が流れ現在に至ってしまった、という仮説を立てたくなったのだ。こういったことは実際起こりうる話だと思うのである。


ここも石を切り出した跡?













こういう想像はどうだろう。室町時代、戦に備えて大文字山に築城した中尾城の奥に更なる城や砦などの軍事的な施設を築こうと急ぎ命令が下されたが、戦いが始まってしまったので早々に工事は中断した。その跡がこの場所なのかも…。
実際のところは分からないので、また個人的に調べる機会を持つだろう。ただ、もし奇岩が人為的に切り出された岩であるならば、それがこれほどまでに自然の岩とうまい具合に混在し「配置」しているのは、ちょっとした奇跡かもしれない。少なくとも珍しい場所であるように思う。

 ***

(追記):弊ブログの幻の滝リンク 1_2_3_4_5_6_7_8_9

(更に追記):こちらで想像の内容を少し現実味を帯びたものに訂正?しています。

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加藤徹 著『貝と羊の中国人』(新潮新書)読了。

日本人の「常識」でもって外国人と接したときに受ける「衝突の体験」から「どうして外国人はこうなのか!」と嘆きたくなってしまうことはしばしばあるように思う。外国と日本が外交的にうまくいっていなかったり、外国旅行をした時、日本に住む身近の外国人に日本的な「常識」が通用しなかったりなど。
近年の中国との緊張関係は私も憂うところはあるのだが、中国とのかかわりを考える上で、どうして中国人はこうなのだ!と嘆く前に、そもそも中国のことを案外知らないといったことも多い。書き方がN・ファーガソンの『文明』とどことなく似ているものの、『文明』より豊かな見識・知識でもって、どうして中国人はこうなのか?といった質問に、コンパクトかつ充実した内容でそれなりに答えているのが『貝と羊の中国人』という本だと思った。
いい意味でこの本には笑える記述が多い。中国のことが書いてあるはずなのに、これは日本のことじゃないのか?と思ってしまったり、もし中国に旅行に行くとなったときの的確な助言となりうるような、日本的な「常識」をあえて捨てて相手の頭の中を考えてから接するとたぶん旅行が楽しいものになるのではないかと思わされるような記述など、すべてを鵜呑みにはできないものの、読むに値する笑えるエピソードが豊富なのだ。
日本に『貝と羊の中国人』があるなら、中国にも同じようなコンセプトで書かれた「どうして日本人はこうなのか?」といった視点で書かれた本もあって欲しいものだ。各々の違いを相手の頭の中の考えを文字を通して知り合った上で接するならば、少なくとも子供じみた諍いはだいぶマシになるのではないかと思う。関係を深めていけば、一見しただけでは分からない表面には現れてこないホンネとタテマエの使い分けも、ある程度以上に微笑を伴って共感できるのではないだろうか。

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昨年の台風で道は荒れている

大文字山を登るベテランの方々いわく、今の時期の新緑を幻の滝で楽しむのもなかなかできない体験だという。















再び幻の滝に向かった日は午前は雨、午後にかけて雲が居座るような予報であった。しかし、私が幻の滝に近づくと丁度西日が射してきたのであった。

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幻の滝から山頂への通常ルートへ出て久しぶりの山頂へ。


三角点



いつの間にやら山頂を示す表示が増え、かつ新しくなっている



厳密には466mじゃないのか。



以前、韓国からの3人の旅行者と来たときの表示もあった

火床に下りてきた。


飛行機雲の軌跡が…






進路を調整しているんだろうな






新たに三機


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あたかも滝つぼの体をなしてるかのような岩






幻の滝から大文字山頂上へ行けるルートがあるので、頂上へ


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懸垂  


昨日、懸垂を10回連続できた。次は8月末までに10年前履いていたズボンを履き、ウエストが苦も無い状態で外出することを目指す。

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