デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



私の読んでいるショーロホフ『静かなドン』は全編を三冊に分けてある分であるから、一冊目は原作でいえば第二巻 第四編 第15章まで所収されている。
一冊目の巻末には作品解説があるので、おおよそのストーリーは分かってしまったのは少し残念だが、でもこれはある意味助かるのも正直なところである。読んでいて人物の相関関係や当時の社会体制や反体制の対立の構図(そう単純なものではない)に対し、把握できてないところを保管してくれるからである。
また、この作品のネタが割れたところで、大事なところは登場人物の葛藤や苦悩の描写に対する価値が減ずるわけでもあるまい。いまでは否定されがちな過去の社会体制下で評価された作品だからといって、おのれのうちにある人類の典型が描かれていることには変わりはない。
ところで、五輪もいまロンドンで開催されていることにちなんで書くと、動乱期、革命期を扱った文芸作品を読むたびにイギリスに対し思うことがある。フランスやロシアでは革命が起こったら皇帝とその家族は殺されたけれども、イギリスが経験した「革命」じみたものは、アメリカの独立戦争ぐらいなもので、革命騒ぎでイギリス王室自体存亡の危機に立ったことはないのは、やっぱり島国であることの恩恵かもしれないなぁと…。
フランスやロシアは地続きで、社会的下層民や隣国が体制を脅かす場合、鎮圧するにしても血なまぐさいことが多く起こったが、イギリスの場合、アメリカやインドで反旗が翻っても国の収益が減る程度の対岸の火事で、教科書で習う本国のいろいろな名前の革命はそれ自体は社会を激変させるものでなかったまま現在に至っているのではないかなと。
大雑把な書き方なので誤解も生じるだろうが、『静かなドン』を読み進めながら、また思いついたことを書きたい。

つづく

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )