デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



トマ・クチュール「頽廃期のローマ人」(1847年サロン出品)

この絵について書きたいと強烈に思った時期があったが、今となっては「どうしたものか?」と思っている。もちろん、クチュールの作品が悪いのではないし、当時のサロンで名声を確立したこの作品のすばらしさを言い表すためには、私などがどれだけ言葉を足そうにも足りないだろう。ルネサンスのヴェロネーゼやロココ時代のティエポロの構図や色彩をふんだんに取り入れられたこの作品を、現地で見上げた頃は、それこそなんと言うデカダン、末期・終末とはまさにこういうものだ、と一人目を見開いて頽廃とはおよそ反対の感情に包まれて、この絵を驚嘆でもって見ていた。

ただ、今となっては疑問がふつふつと湧いてくる。というのはこの作品が古代ローマの詩人ユウェナリスの風刺詩に想を得ているからなのだ。ユウェナリスが活躍した時代はあのアウグストゥスがカエサルの構想を実施に移した時代で、クチュールの絵のような頽廃・不健全な様子・風紀が乱れた光景があちこちで見られたとは、考えられない時代なのである。ちなみに、アウグストゥスの次のティベリウス帝となると、剣闘士の試合すら皇帝がスポンサーになるのをやめたぐらいなのだ。それに大体風刺詩というのは平和な時期に作られるものなのである。
ようするにダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が紀元30年あたりのユダヤ人の食卓を正確に描いていないのと同様、この作品も歴史画としては史実に迫っているとはいえないのである。





大きい作品で迫力は段違いだった。

トマ・クチュール(1815-1879)はダヴィッドの高弟グロとアトリエを継いだドラロッシュの下でアカデミックな教育を受けたが、ローマ賞には失敗する。そこでローマ賞よりはサロンでの成功から社会的に認められる道に進む。
彼の作品は新古典派の作風と必ずしもいえず、どちらかというと反アカデミーな画風である。かといってロマン主義に傾倒しているかといえばそうではない、いわゆる折衷主義なのだが、この作品が圧倒的に成功したときは新古典派とロマン主義の融合から生まれる歴史画再興の旗手と目された。
「頽廃期のローマ人」の成功以後、彼は大きな作品の注文を受けるが、さまざまな理由からほとんどが未完に終わり、時代も彼との折り合いが悪くなった。その後、彼は厭世的な気分に陥り、故郷サンリスに引きこもる。
彼のことを肖像画家へ転身しなかったり、前衛画家として一歩踏み出せなかった悲劇の画家として片付けられることがある。しかし、彼のような存在、彼が生み出した作品がないと次なる世代が出てこなかったのも確かなのだ。実際、彼の弟子であったマネの作品が、そのことをしっかりと語ってくれているではないか。

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