宿に戻る10番のバスに揺られつつ、(遅い昼食で腹いっぱい食ったことだし)夕食は昨日同様PARIS BAGUETTEでサラダとクロワッサンを1個買うことに決めた。
東宮・雁鴨池でCCが使えなかったし、店の前で「もしカードが使えなくなっていたら?」などと思ったが、昨日同様CC払いできた(笑)。昨日普通に使えたカードが同じ店で今日は使えないなんてことは、余程の事がない限りあり得ないので当然といえば当然なのだが、また一気に不安が解消した。
宿に帰ったら、昨日の日本のグルメについて熱く語ってくれたスタッフが「こんばんは!」と迎えてくれた。
共有スペースのフカフカのソファに座って、現金の残額と帰国日までに必要な額を大まかに、かつ、ちまちまと計算していたら、まさかの
Yさんから声をかけられた!
朝にお別れの挨拶をしたし、昼間のうちに釜山へ発たれていると思っていたので、「またお会いできるとは思っていませんでした!」と声に出して驚いた。Yさんはチェックアウト後に宿で荷物を預かってもらい、夕方以降に慶州を発つことにしていたのだという。昨日、日本の食に舌鼓を打ったとお喋りをしたスタッフにYさんとの記念写真を撮ってもらうため、デジカメを渡したらスタッフの彼がスマホに慣れすぎてデジカメのボタンを押しづらくしているリアクションが印象に残った。スタッフもYさんが気に入ったようで、昨日の話しの続きを始めた(笑)。5分ほど日本の話をしたあと、Yさんは出発された。スタッフと私は宿から出る彼の後姿を見送った。
さっきまでの「ちまちま計算」をさっさとやめて、ダイニングスペースに行きサラダとパンの夕食を摂り始めた。ピン子がまた私の傍に寄ってきてくれた。
サラダをつつきながら明日の予定を考えつつスマホとにらめっこをしていると、斜め前に座っていた初老の髭のおじさんが「日本人ですか?」と日本語で訊いてきた。
正直、驚いた。お話しを伺っていると日本には3回ほど行って、京都・大阪・神戸・滋賀のみならず、長野県の立山や岐阜の白川郷に行って素敵な時間を過ごしたことがあるという! 日本語はどちらで?と訊くと、「自分で(学んだ)」とのことだ! その日本語はたとたどしくも十分通じるもので、私よりも年上の方が?というのもなんだが、とても驚いた。
Yさんが出発されてから、一人ポツンと少しさみしかった私は、正直恐る恐るではあったが思い切って「독학으로?(トッカグロ?(独学?))」と訊ねた。今度はおじさんが驚いてくれた。ハングルできるのですか?と訊かれ、「ハングンマルルヌン・ハルス・オプスムニダ(韓国語では、できません)」(正しくは 한국말을 할수 없습니다.(ハングンマルル・ハルス・オプスムニダ.韓国語はできません)」と、外国旅行であるあるの「I can't speak English.」みたいなことをやらかしたが、おじさんは韓国は何回目か? 韓国のどこに行ったのか? と興味を持って訊いてくれるので私も精一杯ハングルで答えた。처음(チョウム(韓国は)初めて) とか「부여에 갔다 왔어요.(プヨエ・カッタワッソヨ、扶余へ行ってきました)」と表現が合っているか確信ないまま答えた(おそらくカッタワッソヨはきちんと言えてなかった気がする)。やっぱり扶余の発音は通じなかったのでガイドブックの扶余のページを見てもらったら、おじさんはまだ扶余は行ったことがないようだった。
この時、「百済(ペクチェ)」や「歴史」などの表現が出て来なくてもどかしかったが、おじさんが「日本語は難しいよ」と言ったので、「한국말을,어려워요.ハングンマルル・オリョウォヨ(韓国語(も)難しいですよ(笑))」と返したりしていたら、一気に場が活気づいた。昨日、日本のグルメについて熱く語ってくれたスタッフが、「漢字は大丈夫、ひらがなも大丈夫、でもカタカナはどうしても分からない」と言ったので、私は「カタカナを目にしたら어떻게 읽어요?(オットッケ・イルゴヨ? 何と読みますか?)とつぶやいてしまいますか?(笑)。(私なんか)パッチムやハングル文字見るだけで어떻게 읽어요?と常に思ってるよ」とジェスチャーつきで語った。
外国語にとっかかり時の表音文字を見慣れず意識的に構えてしまう体感というか、あの特有の感覚は大いに共感できた気がした。少なくとも彼の気持ちが分かったし、私も分かってもらえたように思った。
おじさんのお連れの女性がこの日誕生日とのことで、急遽ゲストハウスのスタッフが自分たちの夕食を多めに作ってお二人にも振る舞い、またロウソクとバースデーケーキを用意するという粋な計らいを行なった。すると、おじさんもスタッフも「あなたも(夕食)どうですか?」と訊いてくれたので、少し遠慮がちな気持ちになったが「(いただきます!のつもりで)カムサハムニダ!」と返事した。
とても美味しかった!
食堂や屋台以外の現地の若い男性の手料理をご馳走になるのも、そして「ハッピーバースデー・トゥー・ユー」の韓国語バージョンを生で聴くのも初めてだった(笑)。
そのあとのおしゃべりで、スタッフから英語で「日本ではいつを新年とするのですか?」と訊かれた。今では旧暦を使わないという英語の表現を知らなかったので、携帯していた自分で作った会話集や韓国の文化風習が載っている会話集を取り出し、「日本では설날(ソルラル、陰暦の正月。구정(クジョンともいう))ではなく、신정(シンジョン陽暦(新暦)1月1日)ですね」と、なんとか(おじさんにフォローしてもらいながら)言い、새해 복 많이 받으세요.(セヘ・ポン・マーニ・パドゥセヨ(韓国での新年の挨拶)は「일본말로는 ”明けましておめでとうございます” 라고 해요.(イルボンマルロヌン・明けましておめでとうございます・ラゴ・ヘヨ(日本語では「明けましておめでとうございます」と言います))」、と言ってから旅行会話集のページを開いて見せた。手作りの会話集や書籍はこういう時、とても役立つし助かる。スマホでそういった類の説明のサイトを手間取りつつ検索して提示するより、サッと、はるかにアナログ的感覚でお互い捉える事ができるように思った。そして数ヶ月前に読んだ本に出てきた“日本は陰暦での季節の楽しみ方を捨ててしまい忘れ去ってしまった”、みたいな記述がチラと頭に浮かんだ。
ゲストハウスでは自分で使用した食器類は自分で洗うのがルールだが、上機嫌になったおじさんが「よし食器類や鍋類は私が洗ってやろう!」とおっしゃってくださったので、スタッフともども私も拍手とともに感謝し、私もせめてテーブルの上のものの後片付けや拭き掃除を手伝い、スタッフとおじさんと女性に「잘 먹었습니다.(チャル モゴッスムニダ,ごちそうさまでした)」とお礼を言った。こんな体験させてもらって本当にいいのか?と、有りがたい気持ちになった。
絵葉書を書くためダイニングルームから一つ下のフロアに下りた。親子の宿泊客の子どもがフロアに設置されているゲームに夢中になっていて、そのサウンドと子どもの叫び声が響いていた。絵葉書の内容は、関空に向う途中の「移動の自由の素晴らしさ」などとはかけ離れたものになった。
部屋に戻ると昨日と同じメンツは私と大きい体躯のフランス人男性だけで、新たに二人チェックインしたようだ。二人とももう布団に包まって休んでいたので、なるべく音を立てずに寝る準備をし、消灯は私が行なった。