デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



テルミニ駅のすぐ傍に残るセルヴィウスの城壁

旅程からするとこの記事は「ピーニエ(松)へ(3) 」というタイトルになるのだが、朝に見たセルヴィウスの城壁跡は古代ローマ史のなかでは重要な遺跡と位置づけられるので、「セルヴィウスの城壁」とする。

ローマを歩き回る初日の朝に、観光はまずロムルスとレムスが流れ着いた伝説上の場所から始めたいと、現地で少しだけ思っていたが、宿を出たらすぐになるべく効率を重視しようと考えが変わった。それでも、初日の朝にセルヴィウスの城壁を見れたというのは始まりとしてはよかったように思う。
さて、セルヴィウスの城壁はテルミニ駅のすぐ傍にあるが、この城壁が築かれたのは古代ローマに共和制が敷かれる前の王政期であった。
紀元前6世紀、ローマは王政を敷いていたがローマ王第6代目がセルヴィウス・トゥリウスである。王セルヴィウスは先代の王タルクィニウスの事業であったローマの七つの丘を囲む、つまりはローマ全体を守る城壁を完成させた。
塩野七生著『ローマ人物語』には、城壁が延長(足し合わせた全体の長さ)8kmもあり、ハンニバルも攻略をあきらめるほど堅固なつくりになっていたことが書かれている。そしてローマが外敵からおびえることが無くなったユリウス・カエサルの時代に、カエサルがローマの都心部の拡張のためと、ローマに城壁の必要性がなくなったことを、つまりは平和であることを内外に示すためセルヴィウス城壁を破壊させたという記述も印象に残る。
セルヴィウス城壁はカエサルが破壊させたので、今は画像のテルミニ駅の傍のものと、アヴェンティーノの丘とカピトリーノの丘の上にしか残っていないのだという。

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