グリンメルスハウゼン『阿呆物語』(岩波文庫)の中巻・下巻、読了。
上巻を含めたら二年、いや三年がかりで読了したことになる。
中巻に出てくるジュピターや下巻でのジンプリチシムスの悪行を言い当てる悪魔はまるでセルバンテスの『ガラスの博士』や『ドン・キホーテ』に登場する博士や胸像の頭部を思わせた。また短編を一編挿入したようなオリバーの語りもセルバンテス作品みたいだった。
下巻は読書スピードが落ちた。他の本を割り込ませたのもあるが、内容的に無理やり超物理現象や未確認生物や御伽噺や想像上の生き物やSFを混ぜこんだような荒唐無稽な幻想めいた体験を語るエピソードが多くなり、まるで古代の神話や歴史の知識、当時から読むことのできた天界や地獄を舞台にした物語や民話や『神曲』や滑稽本を総動員させて作品内に書きなぐった感じが、作品を中途半端な脱線文学に落としているように思えてきてならなかった。のちのゲーテはひょっとして『ファウスト』を書くにあたり、『阿呆物語』(の最後の数章も含め)にかなり影響を受けているかもなどと思ったほどだ。
ただ、最後の数章は作者が物語を書き始めた時点で構想していたかどうかは怪しいと思えたものの、上巻ですでに生涯のなかで経験から学びえた金言をちりばめていることもあって無理のない感じでの上手いまとめ方だと思ったし、こういってはなんだが、この物語が書かれた時代にあって人生を観照する展開に持っていくこと自体に驚きを隠せない自分がいた。それは、作者や作者が生きた時代や土地柄のことを侮りすぎている自分を発見したといえるかもしれない。よく調べないまま時代に偏見を抱いていたことを思い知った気がする。
それはともかく全体としては、作品に対し単なる悪漢小説やキリスト教文学の域を飛び出し、喜劇も悲劇も織り交ざった「人生の書」扱いしたくなった読者も少なくないのはよく分かる。その意味ではドイツ文学の金字塔といえる。