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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



京都国立博物館



京都タワーが見える

特別展観 国宝 十二天像と密教法会の世界(同時開催 方丈記)という特別展を京都国立博物館まで見に行ってきた。この展では金曜日は午後8時まで開館していたので暗くなってからでも見に行けて助かった。
この展は平安時代の空海が朝廷から勅許を得て行なったお祈りの儀式「後七日御修法」で用いられた縁の品々や、密教で僧侶が出世する際の儀式「灌頂(かんじょう)」縁の品々を展示しているものである。
観賞直後の感想としては、聞き慣れん用語で頭がくらくらした。結局のところ、空海の派が天皇と国のために仰々しい祈りを宮内で捧げていた、寺の中での階級を定めた際の辞令とその儀式、寺にかかわる人間の血縁を示す家系図などがあります、という説明に加え、平安時代の朝廷に対する寺社勢力の影響がいかに強かったか、それを示す「名品」を展示しております、とセクションごとの最初に書いてくれていれば分かりやすい展示だったように思う。
展示にあった十二天というのは、要するにもともとはインドのバラモン教の神であって、大体ブッダでさえ、ブッダ死後のバラモン教ではブッダをヴィシュヌ神の9番目の生まれ変わりだとバラモン教が言い出してから「仏教」にいろいろな神様がしゃしゃりでてくるように思うのだが、この展示会の十二天も日本に仏教が伝えられる間に密教や道教の影響で混交したものっぽく感じた。当時の日本では最新のそれをありがたがって自ら模写し、それは模倣の模倣を生み後世に伝わっていったわけだから、日本の「仏教」の宗教画の祖のようなものの権威のもとを考えてしまうとなんだかなぁと思ったのは正直なところだった。
また朝廷も後七日御修法で使用される十二天の絵が「疎荒(そこつ)である」と要するに気に入らなかったら描き直させたエピソードなんかは、結局、権威があったのは朝廷でそれに取り入って勢力を拡大したのが当時の寺であった、という話なのだ。だから朝廷の権威が衰えたりすると天皇や国のために祈る仰々しい宮行事の維持が困難になったり、神仏分離や排仏棄釈などがあると儀式自体ができなくなったというのは分かる話である。
他、「灌頂」に関する展示では誰が灌頂を受けるのかを管理する名簿や、儀式で使う物品の管理表、儀式で使う物品が盗まれどれが無事だったか管理するリストなどもあった。こういった儀式を運営する上で必要になった書類の中には空海直筆のものもあり、僧であり学者であり朝廷とのかかわりにおいて辣腕の事業者でもある空海の人間臭さを感じられた点はよかった。世界のどの宗教であれ時の権力者の庇護があってこそ権勢を振るえるのであって、何を持ってして「偉かった」のか、といったことを考えさせられる展示であった。

特別展を出てから、ライトアップされた博物館にカメラを向けた。暗くなってからの博物館は初めてであった。

















月がきれいだった。








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