デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



一人の画家にこだわっていると旅程が先に進まないとは知りつつ、今回も長々と書いてしまった…。


プッサン「花の女神、フローラの勝利」(1627/28)

まだプッサンかよと自分でもツッコんではいるが、この絵も「アルカディアの牧人たち」と同じぐらい、私にとってはぜひ見ておきたかった絵なのだ。
私が旅好きになった最大の誘引は作家のドストエフスキーとプルーストの小説なのだが、そのプルーストの小説に『失われた時を求めて』という作品がある。作品の第一篇「スワン家の方へ」の第三部で主人公が、いつか田舎町で出会ったジルベルトという少女の名を再びパリで耳にした時、尋常でない想像力を発揮し一気に彼女に対する気持ちが膨れ上がる場面がある。その描写のイメージのもととなっている絵の有力な説として挙げられているのが「花の女神、フローラの勝利」なのだ。とはいえこれには異論もあって、私としてはどちらかというと異論の方に説得力があると思っている。
なにはともあれ、説は説としてあるのだから、見ておくに越したことはないわけで、これまたいろいろな神々が登場している作品を凝視した。
フローラは「花の女神」だから、結局はボッティチェリの有名な「ヴィーナス誕生」や「春(プリマヴェーラ)」のように、冬が終わって春が訪れるよ、それを祝おう、勝利に見立てようというテーマに近い感じなのだろう。まるで「春が絢爛豪華なお車で乗り付けてきました。それ、みんなで祝え!」といわんばかりだ。
でもプッサンはフローラを祝福している周囲の神々にも、各々のエピソードを踏まえた(暗示した)事物を描きこんでいる。列の先頭(左端)にヴィーナス、それにつづくアドニス、身をかがめるヒュアキントス、フローラに水仙をささげるナルキッソス、アポロンに心を奪われ太陽の方向を向く者となる右下で身をかがめるクリュティエー…「アルカディアの牧人たち」と違って窮屈な話かもしれないが、隙がないとも思えた。でも、ちょっと見方を変えたら、神々の大名行列とも思えるので、昔の人も大名行列みたいな同じようなものをイメージしていたのかもと考えると、ちょっとおもしろいような気がした。


学校の宿題だろうか、真剣に登場人物を書き写していた

これまで紹介してきたプッサンの自画像がルーヴルにある。


「自画像」(1650)

背景として用いられ描かれている数枚のカンバス、そして壁の位置は本人と近いはずなのに、この理知的で厳格ともいえる存在感はすごい。というより重ねられたカンバスで狭い場所?の奥行きまで表現する技巧を見てとるべきなのかも。


絵画の寓意か結婚の暗示か

左端に少し描かれている女性の頭には、目を形どった冠が乗っている。当時の研究者によればその目を被った女性もしくは目は「絵画の寓意」だそうだ。
『失われた時を求めて』読了後に、保苅瑞穂著『プルースト-夢の方法』という本をおもしろく読んだとき、カバーにこの部分が用いられていた。カバーのデザインは誰のものだったかは知らないが、今から思うと小説の後につぎつぎと手を出した本にて触れられていた絵のイメージも、私を旅へと駆り立てた誘因になっていると思う。私にとってルーヴルはそんなイメージの宝庫だと思える。


こちら鮮明な画像です


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