デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 





プッサン「アルカディアの牧人たち」(1639年頃)

これはプッサンの円熟期の代表作というだけでなく、もし西洋絵画100選といったものがあったなら、それに入って然るべきと思う。(と思ってたら入っていたよ(笑))
何が良いかと言うと、詩や歌や絵画で用いられているテーマの中で、とくに中世後期から謳われていたテーマを、詩情豊かに絶妙なバランスで絵にして見せたところだといえば、いいのか。
そのテーマはズバリ「メメント・モリ」(死を想え)といえる。(10年ほど前に、ミスチルの歌かCDを思い出した方もいるかもしれない。そう、それです!) 普段は大して気に留めないことなのに、意外にそこらじゅうに蔓延っているような身近で普遍的なテーマといえるのだろうか。


"アルカディアにもまたわれあり"

「アルカディアの牧人たち」の中央に描かれているのはお墓だが、そこには"ET IN ARCADIA EGO"と彫ってあり、その意味は、"アルカディアにもまたわれあり"である。アルカディアというのはギリシャのペロポネスス半島中部の峨々たる山岳地帯で、紀元前の古代ローマの詩人ウェルギリウスが独創したイタリア的な牧歌の理想郷のことだ。アルカディアに何がわれありなのか、それは死のことである。要するにどんな理想郷に住んでいようが死は必ず訪れる、幸福は儚(はかな)いことを強調するとともに心して生きよ、というのがこの絵の重要なテーマである。
銘文を囲むように半ば驚きの表情で読む3人の牧人(たぶん羊飼い)と、彼らに諭そうとするかのように右手を牧人の肩に置きつつ、全てを悟りつつも思念しているかのようにうつむいて、視線をどこかの一点に向けた女性(時の女神)がいる。"アルカディアにもまたわれあり"の「われ」は、左ひざを地に着けて右手の指を銘文をなぞっている男の右腕の影にも象徴される。影の形は「鎌」になっている。これは刈り取るとか死神などの「死」の象徴なのだ。
この絵については、ずっと前から実物を見たいと思っていた。澄んだ空気や風景、そしてこれ以上に適切な人物配置はないと思わせるようなバランスを追求した姿勢に、プッサンの妥協は感じられなかった。理想郷にあって当たり前のこと(真実)を認識することを、さほど気に留めないような牧人たちの表情には、好奇心や驚きはあっても憂いなど感じられない、いや感じさせないことが、ここの住人の特徴かもと思った。また理想郷にも時の流れがあり、いずれこの銘文のように(彼らの)歴史が刻まれることを見透かしたような謎めいた女性の表情は神秘的だった。そして何より絵全体が、いかなる時代でも語られるあたかも「人類には、かつてこのような理想郷があった」といわんばかりの懐古趣味が表現する理想の土地のモデルみたいで、その空気を吸ってみたいと思わせる力を作品から感じた。

この絵の前にいるとき、日本人旅行者のおばちゃん二人が近くにいた。お二人は初めてのパリへツアー旅行で来ていて、自由時間に2時間ほどルーヴル内を見学するというパターンで、館内を迷っているうちにプッサンの部屋に来たとのことだった。自由時間に「ガイドブックに紹介されている作品探し」で時間を浪費し疲れたといったニュアンスのことを言っておられた。
差し出がましく思ったが、この絵とプッサンの自画像について見ておくことをお薦めし、その理由を語らせてもらった。絵について語れて気持ちよかったかといわれれば、そうだったと正直に認めるほかない。でも、お二人のルーヴルでの「モナ・リザ」「ミロのヴィーナス」「サモトラケのニケ」以外での印象に、この絵がことがあったならうれしい限りだと思う。

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