名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

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日米開戦から76年―中日新聞社説

2017-12-10 21:14:52 | Weblog
2017.12.8(金)
 真珠湾での日本海軍の大勝利に亀井勝一郎は
「嘗てペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐だったのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴らすべきときが来たのである」
 と書いた。
 米国と江戸幕府は日米和親条約(1854年)や日米修好通商条約(1958年)を結んだが、治外法権に苦しめられ、関税自主権もないという不平等条約に屈辱的な思いに駆られていた。
 真珠湾で開国からのその屈辱を晴らしたというのである。その攻撃でアリゾナ戦艦八隻を撃沈・撃破した。日本中が万歳、万歳と勝利に沸き立った。
 しかし、社説は続ける。
 東京帝大の横田喜三郎教授は、戦後の回想録で「わたくしの心は暗かった。(中略)敗戦は必至であるとおもった」と書いている。
 真珠湾攻撃の通告文書がワシントンの日本大使館から届けられる前に攻撃が始まっていたことから、米国の世論を怒らせた。
 社説は言う。日米開戦は回避できなかったのか。
 それは、決して日本が受け入れられない条件を提示した中国などからの全面撤退などを求めたハル・ノート。またA(米)B(英)C(中国)D(オランダ)のABCD包囲網の経済封鎖のせいだという。
 1931年、日本は満州事変をおこし、傀儡国家・満州国をつくった。これで日本は国際連盟を脱退し、孤立化へ進む。1937年には日中戦争に突入。その12月には多くの中国人を虐殺する南京事件を起こした。このことを外国のメディアが世界に報道した。
 世界から孤立し、中国や東南アジアへの侵略戦争をすすめたことこそ、日米開戦に至る遠因だったろうし、惨めな敗戦に至った原因である。
 そして最後に、今、負の歴史を隠す風潮がある。歴史には正直者でなければならぬ、と結んでいる。
 
 なんと現在の北朝鮮の状態と似ていることであろう。アメリカを筆頭としてそれと同盟を結ぶ韓国、日本から脅され、国連を含む世界から経済制裁を受けて、負けじと核開発に狂奔している姿は哀れとしか言いようがない。日本政府などは北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んでくるなどと国民を脅し、これをいいことに米軍との大規模な軍事演習を朝鮮近海で繰り広げたり、強硬な経済政策を主導して武力的な解決を目指していると言われても仕方ない姿勢である。
 真珠湾攻撃をしてアメリカと戦争になったときの日本と現在の北朝鮮との違いは、日本は神の国であり絶対に負けることはないと信じて先制攻撃をしたが、北朝鮮は米国はもとより世界を相手に勝てるなどとは少しも思っていないということである。核実験を行って、ミサイルで米国まで飛ばすぞと脅しているだけである。先制攻撃をすれば確実に北朝鮮は壊滅され、国家が消滅することを知っている。だから先制攻撃はしないと断言できる。ここが当時の日本との決定的な違いである。
 今こそ日本は、米国の尻に巻き割りついて脅しをかけるのではなく、米国だけでなく世界に向かって話し合う道筋を立てる役割を負うべきである。それが15年戦争で悲惨な目に遭った日本の果たすべき責務であり、世界に信頼を取り戻すチャンスでもある。

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