名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

女子柔道選手らが監督らから暴力

2013-01-30 21:50:52 | Weblog
2013.1.30(水)
 大阪市立桜宮高校バスケットボール部の主将が顧問の教諭に体罰を受けて自殺したり、愛知県立豊川高校の陸上部の選手らも体罰を受けていたことが明らかになって、指導方法が問題になっている。
 こうした折、全日本柔道連盟(全柔連)に所属する選手15人が女子代表の園田隆二監督(39)と男性コーチから暴力やパワーハラスメントを受けていたと告発する事態が明らかになった。
 ロンドン五輪代表の選手を含むトップ選手15人が昨年12月、連名でJOCに告発文を提出。全柔連は、2010年8月から12年2月までの間に胸を小突く、平手で頬を張るなど薗田監督に関する五件の暴力行為を把握したと明かした。
 高校生の場合は、教育的指導の域を超えて暴力であったことがすでに明らかになっているが、大人の世界であるスポーツ団体でも暴力が横行していたとは全くの驚きである。
全柔連は、こうした事実関係を認めて記者会見の席で謝罪したというが、薗田監督と男性コーチを戒告処分にしたうえ、同監督を交代させる考えはなく、続投させることとしたことを明らかにした。
 国内トップレベルの柔道選手らの集団告発を甘い処分で終わらせようとする全柔連幹部らの問題の深刻さの欠如、時代感覚の無さには驚くほかない。小中学生や高校生などの場合は、教育的指導という言い訳も否定はしないが、大人である柔道選手、それも女子選手に対して手をあげるというのは、暴力以外の何ものでもない。こんな監督やコーチを「本人がもうしない」と言っているとして、監督やコーチ陣の交代もなく、軽い戒告処分で糊塗しようとしているのは全く信じられないことである。
 全柔連の小野沢弘史専務理事は薗田監督を留任させることについて「世間に受け入れられるか」との報道陣の質問に対して「活動を見守ってもらい、成果で示すしかない」と答えたという。
 暴力も、成果があがれば良いと開き直っているようなものだ。こんな姿勢では、ほとぼりが冷めれば再発間違いなしである。薗田監督やコーチらは人間性が欠如しており、神聖な世界のトップ選手を要請する指導者としての資格がないというべきである。


橋下大阪市長 市外の中学生以下の動物園入園料を有料化

2013-01-27 21:10:45 | Weblog
2013.1.27(日)
 大阪市は1月26日、中学生以下は無料にしている天王寺動物園の入園料を、大阪市外に住む小中学生は有料にする方針を明らかにしたとメディアが報じている。
 橋下市長は「大阪市が市民税で周辺市町村の子供の分まで面倒を見る必要はない」と述べ、4月から200円を徴収するというのだ。これで年間2千万円の収入増を図ろうというのである。
 大きなことを言っている橋下市長としては、なんと度量の小さいことであろう。大阪市民の納めている税金だから、隣の市や町の小中学生の入園料まで面倒を見る必要はないというのである。
 そもそも、動物園などどこの市町村にあるものではない。例外はあるが、あるのは主に大都市である。大都市には小さい町にはない色々な文化、芸術、教育、スポーツ施設などがあり、工場や百貨店を始め各種の商店も集積している。周辺の市町村からも多くの人々が働きに来るし、文化の享受や買い物などに大きな都市に集ってくるのである。こうしておのずと人口も多くなり(特に昼間人口が多い)、税収も比べ物にならないほど多いのだ。
 動物園は大人も楽しめるが、どちらかといえば教育施設である。だからいくつかの動物園では子どもの入園料については、無料にしているところが多い。
 ちなみに、名古屋市の東山動物園では古くから小中学生以下の子供には無料を通してきている。東京の上野動物園でも小学生以下は全て無料である。有名な北海道旭川市の旭山動物園も中学生以下の子供は無料としている。旭川市は大都市でもないのに子供はみんな無料なのだ。
 大阪市のように兆単位の予算規模を誇る大都市が、たった2千万円の増収を図ろうとして大阪市域外の子供たちから動物園の入園料を取ろうとするのは、大都市の果たすべき役割の放棄である。
 橋下市長のような,こんな個人的な感覚で周辺の子供たちの、動物園で学習する権利を奪うに等しいことを黙って見過ごすとしたら、大阪市民も恥ずかしいことだ。
 小さな事柄であるが、橋下市長の本性が現れているようで怖い。河村名古屋市長も真似なければ良いが。

道路特定財源の復活と撤回

2013-01-25 11:37:56 | Weblog
2013.1.25(金)
 自民党は平成25年度の税制改正大綱で、一般財源化されていた自動車重量税を元の「道路特定財源」に戻すと決めていたが24日になって、再び「一般財源」に戻すとの見解を示したという。無駄な道路づくりの温床と指摘された特定財源の復活に、党内から批判が噴出したためだそうである。
 税制大綱では「道路の維持・更新のための財源と位置づける」と表現されていたが、24日の党会合では「自民党が先祖帰りしたと言われる」といった異論に対して、野田毅税調会長は「傷んだトンネルや道路の補修に使う課税根拠を示した」と説明し、原案通り了承を取り付けた。
 それが、麻生太郎副総理兼財務大臣が24日の記者会見で「道路特定財源を復活させる気は全くない」。菅義偉官房長官も会見で「一般財源と断言する。元に戻すことは100%ない」と述べるに至って、はかなくも野田税調会長の目論見は散った。まさに朝令暮改の見本のようなものだ。
  この重量税を始めガソリン税や自動車税などの税の総額は消費税を含めて8兆円近くに上っている。これまでは票集めのために、新しい道路整備ばかりに力を注いできたが、その維持管理には手を抜いてきた。笹子トンネルの崩落事故などはそのよい例である。その意味では、野田税調会長の言っていることには一理ある。40~50年という年月が、膨大な日本のインフラを痛めていることは明らかである。野田氏の主張は分かり易い。
 麻生財務相が一般財源にこだわっているというのは結局ポーズに過ぎない。金に色がないのだから、一般財源として使ったといっても、結局は何に使ったか不明である。メディアが、「一般財源化しても大半を道路関連財源予算に充てる公算が大きい」と論評していることがそのことを表わしている。

今年の年賀状 2等の大当たり

2013-01-23 22:08:46 | Weblog
2013.1.23(水)
 年賀はがきの当選番号が20日の日曜日に発表された。かつては確か成人の日の15日に決まっていたが、現在はその成人の日が第2月曜日に変更されたことから当選番号の発表日も変わってしまった。今年の場合は20日であった。20日は第3日曜日なので、毎年第3日曜日なのか、それとも毎年1月20日と特定されているのか未だに分からない。
 とにかく、20日に発表されたことに気付いて、昨日(22日)の夕食後、連れ合いと一緒に当選番号のチェックをした。
 いつものことだが、下二桁の4等が当たれば良しとしているので、4等の当たり番号、29,70をさがした。筆者には約300枚の年賀状に対して、あたりは5枚、連れ合いは約100枚に対して1枚と平均をやや下回った当たり数であった。
 しかし驚きはそれから起こった。念のためにと調べていた連れ合いのはがきの中に、なんと2等の当たりくじが出てきたのである。
 その番号は2等番号3本のうちの一つ“111316”である。ビックリ仰天、まさかの2等番号である。
 これまで随分昔のことであるが、4桁の番号が当たったことがある。当時はそれが4等だった記憶で、スプーンセットが景品であった。以来、二桁番号の切手シートしか当たらなかった。
 さて、6桁も当たらなければ貰えない賞品とは何ぞやと見てみれば(100万本に3本しかないのである)、
・加湿空気清浄機 ・デジタルカメラ+デジタルフォトフレーム ・高級食材 ・折りたたみ自転車 ・日帰りお食事旅行
の中から1点を選べという。2等という割にはわびしい商品ばかりである。連れ合いの喜びも一瞬で終ったが、それでも6桁の数字が一つも違うことなく合致した偶然には、年の初めから良い事の起こる予感かもしれないと気を取り直すべきだろう。いや、交通事故に当たらないように気をつけたほうが良いかもしれない。

アルジェリア 人質事件

2013-01-22 22:00:34 | Weblog
2013.1.22(火)
 イスラム武装勢力がアルジェリア・イナメナスの天然ガス関連施設を襲撃したのは1月16日のことだった。武装勢力らは日本人を含む外国人やアルジェリア人多数を拘束し、籠城した。
 この天然ガス関連施設のプラントを受注していたのは、日本のプラント建設大手「日揮」で、その社員17名が人質となった。
 事件発生から5日たった昨日(21日)夜、安倍首相は事件が起きたイナメナスの病院で行方がわからなかった日揮の日本人駐在員10人のうち7人の遺体を確認したことを明らかにした。17人のうち7人はすでに生存が確認されていたので、残る3人が依然行方不明のままである。
 アルジェリアのセラル首相は、犠牲になった外国人の人質は8カ国の37人、この他に5人が行方不明となっていると発表した。一方、イスラム武装勢力の死者は29人で、3人を拘束したとしている。
 日本政府は事件発生当初、岸田外相がアルジェリアの外相と電話会談し、早期解決と人命最優先で対応するよう要請した。また東南アジアに外遊中だった安倍首相もセラル首相に軍事作戦の中止を要請したが、19日アルジェリア軍が人質救出作戦を強行した。
 こうして今回の大がかりなテロ事件は収束に向かったようであるが、結果は多勢の犠牲者を出す大事件となった。中でも日本人の犠牲者が一番多かったようで、安倍首相ではないが、日本人として痛恨の極みである。
 筆者は30年以上も前であるが、今回の事件の発端ともなったマリ国へ行ったとき、そこでも日本人に逢った経験がある。日本人は特に企業活動を通じて世界中で活動している。9.11の日本人の犠牲者は24人だったが、これからもこうした海外で活動する日本人をどう守るかが大きな課題である。

元横綱大鵬死去

2013-01-20 10:16:23 | Weblog
2013.1.20(日)
 日本の戦後、経済の高度成長期を生きてきた日本人として、最も心に残る一人であった最強の横綱、大鵬こと納屋幸喜さんが昨日(19日)死去した。享年72歳。
 1940年、当時の樺太(現サハリン)でウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれ、終戦とともに北海道へ引き揚げた。
 56年の秋場所、16歳で初土俵を踏んだ。59年夏場所の十両昇進を機に大鵬と改名、60年初場所で新入幕、同年九州場所で初優勝し、61年九州場所で第48代横綱に昇進した。21歳3か月の横綱昇進は、北の湖に抜かれるまでの最年少記録だった。
 同時に横綱に昇進した柏戸と大相撲の黄金期「柏鵬時代」を築き、全勝優勝8回、六連覇2回、45連勝、通算872勝など無類の強い力士だった。当時の子供が好きな言葉として「巨人、大鵬、卵焼き」という流行語が生まれたが、努力一筋で角界の頂点に上り詰めた大鵬は「裸一貫でやってきた自分と金で選手を集めて強くなった巨人とは違う」と反発したというエピソードがあるという。
 71年夏場所で引退し、一代年寄りの大鵬部屋を創設したが、77年に脳梗塞で倒れた。懸命のリハビリで復帰し、80年には日本相撲協会理事に就任した。
 1989年、大鵬が名古屋場所担当部長を勤めていたとき、世界デザイン博覧会の名古屋城会場での開会式で一緒にテープカットをしてもらった記憶がある。写真で見るとおりの温厚で誠実な人柄を感じさせたことを覚えている。
 慈善活動に力を入れ、日本赤十字社に毎年、血液運搬車「大鵬号」を送り続け、09年までに70台に達したという。
 高度成長期の日本人の心のふるさとでもあった大鵬関の冥福を祈る。

大改修迫られる日本のインフラ

2013-01-16 10:12:51 | Weblog
2013.1.16(水)
 昨年12月2日に起きた中央自動車道笹子トンネルでの天井崩落事故からちょうど1か月後の今年1月3日、大阪府河内長野市と和歌山県橋本市を結ぶ国道371号線の「紀見トンネル」(1453m)でまたも事故が起きた。壁が幅90センチ、長さ40センチ、厚さ10センチほど剥がれ、約5メートル下に落下した。交通量の多い幹線道路で、しかも正午ごろという時間にもかかわらず、けが人が出なかったのは不幸中の幸いであった。人心事故とならなかったからか、報道も小さくほとんどの人は気がつかないで終った。
 昭和30年代後半からの高度経済成長政策に乗って、日本のインフラは整備が進んだ。このインフラ整備は、田中角栄首相の日本列島改造計画で全国の末端までいきわたった。
 昭和39年の東京オリンピックを目指して建設された東京~大阪間の東名・名神高速道路と東海道新幹線はその代表である。もちろんその他に、河川整備や大型橋梁、ダムの建設、港湾、住宅団地など至るところで日本の国土は整備が進んだ。
 それから40~50年が過ぎて特にコンクリートの劣化が進み、強度に不安が出てきたといわれるようになった。
 ビルや住宅については、地震による倒壊などから耐震基準の強化が図られ、補強工事や改築が進んでいるが、道路、河川、ダムなど大型インフラといわれるものはほとんど手がついていない状況である。
 笹子トンネルのような崩落事故はいうまでもなく、ダムの崩壊や河川の決壊などが起これば甚大な被害は容易に想像がつく。
 それにもかかわらず、膨大な量のインフラの存在に対して、その維持のための予算は極めて限られている。むしろ放置されているといった方がよいかもしれない。笹子トンネルの崩落事故はこうした事実のまさに予兆である。
 政治家も新規建設には熱を入れるが、建設が終ってしまえばあとは知らん振りである。維持費など票に結びつかないからである。
 今朝の新聞には、50年が経過した東京の首都高速道路の大規模改修や建て替えといった老朽化対策費用として1兆2300億円にのぼる試算を公表したと報道している。首都高などはその交通量からして高速料金で賄えると思われるが、一般的にインフラの維持費は税金で充てなければならない。その金額はおそらく数百兆円に達すると思われる。
 もうこれからの公共事業は、新規建設ではなく維持管理に注力すべき時代に入ったというべきであろう。

円、一時89円台 円安へ進む為替相場

2013-01-11 22:13:24 | Weblog
2013.1.11(金)
 今日、11日の東京外国為替市場の円相場は、日銀が追加金融緩和に踏み切るとの思惑などから円が売られて一時、一ドル89円台前半をつけ、2010年6月以来、約2年半ぶりの円安水準となった。日経平均株価も一時、10,800円台を回復し、11年2月以来の高値を記録した。
 円は対ユーロでも売られ、一時、1ユーロ=118円台前半と2011年5月以来の円安水準に落ち込んだ。安倍政権が緊急経済対策を決定し、為替市場では政府に呼応する形で日銀が追加金融緩和に踏み切るとの観測が流れたことが、円安を進行させている。
 円安は、前述のように輸出関連株の上昇をもたらし、株式市況を活気付けているが、一方でガソリンの価格上昇を招いてもいる。原発の停止を補う火力発電の稼動によって発電コストも当然上がらざるを得ない。 
 政府による緊急経済対策では、国の予算として10兆3千億円を投じ、自治体負担や企業投資を含めて事業規模は20兆2千億円の巨額に上る。これらの財源は基本的に国債、地方債、社債など要するに借金である。
 金をばら撒き、借金漬けにするという劇薬でデフレ脱却、円安、株高を招こうという禁じ手がどこまで効を奏するか覚束ないが、われわれ素人はただ見ているしかない。借金の増大は、国債の金利上昇という毒素が効いてくるとデフレ脱却などという呑気なことをいっていられなくなる。
 建設業界などは久しぶりに仕事が舞い込むと沸き立っているという。安倍首相は緊急経済対策で景気をあげ、雇用を増やし、基礎的財政収支も黒字化を目指すと調子は良いが、何ごともうまく行くことを願うばかりである。

名古屋市高年大学「鯱城学園」について

2013-01-10 14:06:20 | Weblog
2013,1.10(木)
 少し唐突だが名古屋市の高年大学について考察してみたい。この高年大学が名古屋市の事業仕分けの対象となり、一時は廃止の憂き目にあったが存続の請願などが出たりしてまだ検討が続いているようである。
 その愛称は「鯱城学園」といい、1986(昭和61)年に開学した。現在、生活、文化、園芸、陶芸など10学科あり、二年制となっていて入学定員は568人である。
 毎週2日ほどの授業とクラブ活動などを含めて登校日数は年間70~90日程となっている。
 開学以来の入学生は10、600名を超え、卒業生も約10,000名に達するという。
 入学金は10,000円、授業料は年20,000円である。これに対して学校の運営費は学生一人当たりに換算して、年130,000円となっていて、授業料との差、110,000円を税金で補填しているといわれる。そもそも、これが事業仕分けの対象になった理由でもある。
 入学者については、60歳以上の名古屋市民であれば誰でも申し込むことができる。毎年の競争率はほぼ2.5倍だそうであり、入学者は抽選で決定している(一部推薦制度もある)。
 60歳以上の市民であれば誰でも応募はできるのだが、入学した経験のある知人などの様子から垣間見ると、知的にも経済的にもそれなりの人たちばかりのようである。年金生活者といってもハイレベルな年金生活者であり、いわゆるホワイトカラー族であった人たちが主流を占めているようでもある。
 こうした状況の中で事業仕分けの対象になったのであるが、民間では、○○文化センターとか○○教室といったものが数多くあり、何も公共団体が税金まで使って運営するべきものかが問われたものである。
 ただ鯱城学園の設立趣旨には「学習と自主活動の成果を、「社会参加に結び付ける」という項目があり、この卒業生は多くの社会活動やボランティア事業に参加している。そのことが、議会への請願に対して「地域社会に貢献しており、生きがい作りにも役立っている」として賛成多数ながら裁決された理由であろうと推察する。
 税金の投入額が多いというのが見直しの動機なら、負担能力のある人にはそれなりの授業料を求めても良いのではないか。年額2万円ではなく、月額1万円でも決して高くはないと思う。民間のカルチャーセンターなどでは万単位の講座はいくらでもあるし、今はやりのスポーツクラブでは月額の利用料はほとんど1万円程度となっている。授業料がその程度に上がったとしても入学希望者が極端に減るとは思えない。
 名古屋市への求心力を高め、健康を維持し、社会貢献に役立つこうした施設を単に金がかかるという理由だけで廃止に持ち込もうとするのはいかにも近視眼的である。



卒業制作展で戦争語り手の肖像写真展

2013-01-08 22:36:45 | Weblog
2013.1.8(火)
 名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科の第8回卒業制作展が今日から14日までの会期で、愛知県美術館ギャラリーを会場として始まった。
 この中に、一人の女学生が戦争体験者からその体験の話を聞くとともに、その体験者のポートレイト写真を展示した作品がある。
15人の戦争体験者の写真とその経歴にそれぞれのメッセージが添えられている。
彼女はその制作意図を次のように語っている。
「終戦から67年、年月が経つにつれ、その体験を語っていただける人も少なくなっています。私たち若い世代が戦争体験を聴く事も、最近はほとんどなく、知らないままに時が過ぎてゆきます。そんな今だからこそ、私たち若い世代にその体験を話していただきたい、伝えてほしいのです。
 体験者の方々にとって、戦争を語っていただく事は、当時を思い出す事であって本当に苦しく、話すだけでもつらい事だと思います。話せる事だけで構いません。私自身、その伝えていただいた思いを、しっかり受け止め、そしてまた誰かに伝えることができたら、と思っております。」

 展示は2段に並んだ15人の語り手とそれぞれの解説だけという、他の派手な出展と比べてみれば地味なものである。しかしそこには、あの時代の出来事を後世に伝えたいという彼女の思いがひしひしと伝わってくる。
 戦争を知らない若い女学生が、風化していくあの時代の“さま”を戦争体験者が語る姿を、写真という手段をもって蘇えらせようとした意気に共感のエールを送りたい。