名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

仏のニース近郊でドイツの飛行機墜落

2015-03-30 17:07:41 | Weblog
2015.3.30(月)
 フランスで1週間前の3月24日(火)、ドイツの格安航空会社(LCC)「ジャーマンウィングス」の旅客機が墜落するという大きな事故があった。
 墜落したのは、スペインのバルセロナとドイツのデュッセルドルフを結ぶ「エアバスA320型機」で、フランス南部のニース近郊・「ディーニュ・レ・バン」の山岳地帯に墜落した。乗客144人、乗員6人の計150人全員が犠牲になった。二人の日本人が搭乗していたことも明らかになった。
 日本時間午後6時47分に異常を報せる救難信号を受信したが、その後交信が途絶えていた。機器や人的トラブル、気象あるいはテロなど事故原因がいろいろ取りざたされたが、ボイスレコーダーが回収されたことから驚愕の事実が明らかになった。
 ボイスレコーダーには、機長が「バルセロナでトイレに行けなかった」と話し、副操縦士が「いつでも、わたしが代われますよ」と応じる会話があり、機長はトイレに立った。その3分後には、機長の「お願いだ、ドアを開けてくれ!」という声と、操縦室内のアラーム音のほか、乗客の悲鳴が記録されていた。さらにその直後には、金属でドアをたたく音がし、その後、高度を上げるよう指示するアラームが鳴る中、機長は「ドアを開けろ!」と叫び声をあげたが、翼が山に接触したとみられる音と、乗客の叫び声がして記録は終わったという。
 こうした状況から現地のメディアなどは、副操縦士(27)が網膜剥離(はくり)を患い、6月に予定されている勤務先の健康診断で、操縦士として不適格と判断される可能性があったことを報じた。
 また、ドイツの大衆紙は副操縦士が昨年、「いつかすべてのシステムが変わるようなことをする。みんなが僕の名前を記憶することになるだろう」と元交際相手の女性に語っていたことも伝えた。
 さらに、別のドイツ紙は副操縦士が精神科医の治療を受けており、自宅の家宅捜索で複数の精神的病気の治療薬が見つかったと報じている。
 こうした事実から、仏検察当局は副操縦士が機長を操縦室から締め出した後、意図的に降下ボタンを押し、墜落させた可能性が高いと発表している。
 これらのことが本当なのか、にわかには信じられない。しかし本当であるならこれほど恐ろしいことはない。149人もの人間を道連れしてしまう狂気とは一体何なのであろうか。
 1週間たった現在、まだ遺体は半分程度しか回収できないという。


辺野古を巡って沖縄県と安倍政権との戦い始まる

2015-03-25 22:02:34 | Weblog
2015.3.25(水)
 沖縄県の翁長雄志知事は23日、米軍普天間飛行場の移設先である名護市辺野古沿岸部で進められている海底ボーリング調査を含め「海底面の現状を変更する行為を全て停止すること」を沖縄防衛局に文書で指示した。そして7日以内に作業を停止しなければ、来週にも海底の岩石採掘と土砂採取などの岩礁破砕に関する「許可を取り消すことがある」と警告した。
 沖縄県はこの根拠として、防衛局がボーリング調査のため投入した大型コンクリート製ブロックが岩礁破砕の許可区域外でサンゴ礁を損傷した蓋然性が高く、作業を停止させて県が調査する必要があると判断したという。
 一方、防衛局は許可は不要と反論しており、政府側に従う様子はない。菅官房長官は「県の文書を精査するが、現時点で作業を中止する理由は認められない」「粛々と進める」と強硬だ。
 それどころか、防衛省は県のこうした措置によって遅延が生じ、損害賠償請求の提訴すら考えているという。
 翁長知事は県民に約束した公約を真剣に守ろうとしているに過ぎない。県民の多数がそれを望んでいるからである。それが民主主義というものであろう。安倍政権はそれを無視し、それが国益だから我慢しろといわんばかりである。
 このブログでも何度も言っているが、沖縄以外の国民は安倍政権を圧倒的多数が支持しているらしいから、普天間飛行場の引越し先をなぜ本土内にしないのかと言いたい。安倍首相の出身地である山口県沖など最適ではないか。既にいっぱい米軍基地を抱える沖縄に、なぜこれ以上の基地を持たせようとするのかどうしても理解できない。アメリカの言うことは聞くが沖縄県民の言うことは聞けないという理屈が本当に日本の国益なのか、アメリカの国益なのではないか真面目に考えてもらいたい。

摘草料理の美山荘へ出かける

2015-03-24 20:12:01 | Weblog
2015.3.24(火)
 京都の最北、花脊の里にある「摘草料理」で有名な料理旅館「美山荘(みやまそう)」へ、昨日から連れ合いと一緒に一泊の旅に出かけた。ここは花脊の「大悲山峰定寺」の参道にあり、1985(明治28)年に同寺参りの信者のための宿坊として建てられたのが始まりとされる。設計・施工は数々の茶室、旅館、料理屋などを手がけた名工・中村外二である。
 現在は四代目、中東久人氏が当主である。昨年、銀閣寺近くの草喰料理「なかひがし」を訪れたが、その店主、中東久雄氏は四代目の叔父に当たる。
 美山荘は、摘み取った季節の草花や旬の野菜にアマゴやアユなど清流の川魚を交えた美しい料理で、立原正秋や白洲正子など多くの文化人に愛されたといわれる。
 通された部屋は、石楠花と名付けられており、大きな1枚ガラスの窓の外は自然あふれた木々の隙間から、いかにも川魚のいそうな清流が音を立てて流れている。部屋にはテレビもラジオもなく、折角ここへ来たからには現世の雑音から離れてほしいとの当主の気持が現れている。
 美しい女将と主に二人のお手伝いさん(旅館や料理屋から修行にきているとのこと)からおもてなしを受けたが、実に細やかで、さわやかな対応振りである。
 料理は良く分からないが、野菜というよりまさに野の草花をあしらったものが主役である。蛋白源としてはこの時期のアマゴと京都牛が目を引いた。それぞれの料理は僅かづつではあるが、多様な料理のお陰で、十分満足な量である。
 お風呂は温泉ではなく、ヒノキ作りの家庭風呂である。清流を眺めながらの入浴でこれも良い雰囲気であった。
 ところで、2~3日前までは春本番の暖かさで、名古屋では早くも桜の開花が伝えられたばかりであったが、昨日からは一転、強い冬型の天候に変わり、今朝になっての外は一面雪に覆われた景色に変貌していた。京都とはいえ、ここは北陸の気候である。さらに積もらないうちにと、朝10時前には宿を立つ事にした。上るにしろ、下るにしろ細い曲がりくねった雪道を走るのは厳しいものがあったが、何とか京都市街地まで下りてこられた。少し余裕ができたのと時間も早かったので、大原の三千院へ寄り道をして午後4時半には帰宅できた。一人一泊6万円近いぜいたくな旅であった。

沖縄・ひめゆり学徒 体験講話を終了

2015-03-22 21:25:33 | Weblog
2015.3。22(日)
 糸満市のひめゆり平和祈念資料館で、1989年の開館当初から行われてきた元ひめゆり学徒による体験談が今日(22日う)をもって終了となった。体験者の高齢化によって語り続けることが困難になったと判断し、沖縄戦から70年の節目に決断したという。
 今日、最後の講演をした館長の島袋淑子(87)さんは「戦争を知らない人たちにどう話したら分かってくれるかと、焦ったり悩んだりしている。どれだけ伝わったか心配だが、一つのけじめをつけたい」と語った。今後は、戦争体験のない若い世代が学徒らの記憶を伝えるという。
 動員されたひめゆり学徒は240人だったが、生存者は半分以下の104人となり、開館当初27人いた語り手も現在は9人まで減少している。
 戦後70年、当時15歳だったひめゆりの少女たちも早や85歳である。戦争を経験し、それを知っている世代はほんのひと握りになってしまった。
 もう10年もすれば韓国や台湾が日本の植民地だったこと、中国へ侵出(侵略)し、太平洋戦争を引き起こしたことなど遠い過去のこととなってしまうに違いない。ナショナリスト等の声援を受けて、再び戦争のできる国へと着々と準備を進める安倍政権の目論見は順調である

森村誠一氏の『この道』

2015-03-19 14:33:02 | Weblog
2015.3.19(木)
 中日新聞夕刊に『この道』と題して、各界著名人の日記風というか履歴書風のエッセイが連載されている。現在は作家の森村誠一氏が執筆中であるが、2015年3月18日付の内容は印象深いので記憶のために全文を記載する。

2015.3.18 第61回 森村誠一
 1945年8月15日の敗戦によって、日本全国民を権力の補給源としていた軍は崩壊した。そして基本的人権を保障する新憲法が生まれた。特に九条は、日本建国以来千年余の日本を破壊した軍国主義を徹底的に解体した。九条こそ永久不戦を誓った日本再生の支柱である。その支柱が、戦争を知らない国民が大多数になりつつある今日、最高責任者の暴走によって、揺れつつある。
 しかも、元朝日新聞記者の慰安婦報道に関して、本人、および家族、勤務先の大学の学生などまでも匿名で暴力的に脅迫し、国賊、売国奴、非国民などとヘイトコールしている。匿名で他人の基本的人権を攻撃する者は、自分の言動に責任を持たない卑怯な人間であることを自ら広告している。民主主義の根幹である表現や教育の自由を暴力的に脅迫している。国賊、非国民、売国奴、反日などの言葉は、戦中、反戦平和をアピールした自由主義者、社会主義者、共産党員などに投げられたヘイトコールである。
 戦後70年にして甦ったヘイトコールは、自分の顔に唾を吐くようなものである。朝日新聞の誤報に集まった「朝日パッシング」に、あろうことか他のマスメディアが、国賊、売国奴のヘイトコールを再集中した。戦争犯罪は、「あった」に対して、必ず「なかった」という反論が寄せられる。
 たとえ誤報があったにしても、「なかった」派は「あった」派のすべての記録、映像、証言、著述、目撃者などの主張を覆す反証を挙げなければならない。その挙証責任が不充分である。つまり、不充分のままヘイトコールをしている。
 九条が揺れる今日、ヘイトコールを投げつけられる者は九条擁護者ということになってしまう。手前勝手な罵倒の言葉の源泉も調べず、ヘイトコールをする資格も権限もない。
 表現の自由、戦前・戦中、反戦平和・自由を求めた者は、むしろ理不尽な時代の弾圧、拷問、投獄、殺傷などに耐えた英雄である。
 「最高の愛国心とは、あなたの国が不名誉で、悪辣で、馬鹿みたいなことをしている時に、それを言ってやることだ」(作家・ジュリアン・バーンズ「ザ・ビッグイシュー日本版」254号)




大阪都構想、住民投票実施決まる

2015-03-18 09:59:43 | Weblog
2015.3.18(水)
 大阪府議会は17日の本会議で、大阪市を廃止し特別区に分割する「大阪都構想」の協定書を大阪維新の会と公明党などの賛成多数で可決、承認した。大阪市議会は既に承認しており、大都市地域特別区設置法に基づき、市民を対象に協定書への賛否を問う住民投票の実施が決まった。
 これを受けて、府市でつくる法定協議会が市選挙管理委員会と総務省に通知し、市選管は4月12日告示、5月17日投開票を決定する見込みだという。
 賛成多数となれば、2017年4月に人口約35万~70万で中核市並みの権限をもつ北、湾岸、東、南、中央の五特別区が設置される。
 協定書は昨年10月、府市両議会ともいったんは否決したが、公明党が住民投票の実施賛成に方針転換し、今年1月に再び決定し、両議会に提出されたものである。
 橋下市長と松井知事は「市長をなくして、知事一人になれば無駄は解消する」「再編効果は17年で2600億円にもなる」などと大ボラをふいているが、名目上市長の名は消えるが、五人もの特別区長ができる。これは従来の「区長」とは異なり、市長が5人に増えるようなものだ。
 17年で2600億円の節約とは、市営地下鉄を民間に売り飛ばすなどのことのようだが、2600億円という金額ももあやしいし、サービスの低下など安全・安心がなおざりになりかねない。
 そもそも大阪市は、人口は多いが市民税収入はそれに比して多くないといわれる。生活保護率の高さから見ても貧困層が多いことは否めない。やみくもに支出を切り詰めれば、行き着くところは福祉の切捨てになることは見えている。
 この住民投票は、憲法改正のテストケースとなると見る安倍首相は、密かに橋下氏を後押ししているとも巷間伝えられるが、大阪市民の健全度を試すものでもある。

上から目線の中谷防衛大臣

2015-03-14 12:00:41 | Weblog
2015.3.14(土)
 報道によると、中谷防衛相は13日の記者会見で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する沖縄県の翁長雄志知事について「工事を阻止するとしか言っていない。沖縄県のことや国の安全保障を考えていただきたい」と批判したという。
 また沖縄防衛局が半年ぶりに再開した海底ボーリング調査をめぐり、翁長氏が岩礁破砕許可の取り消しを検討していることについても、中谷氏は「作業は手順を踏んできている」と反論している。
 さらに翁長氏との面会についても「今のところこちらから会う考えはない。より対立が深くなるということでは、あっても意味がない」と否定しているという。
 この横柄な態度には正直“びっくり”である。自分の考えは全く“正しく”て、沖縄県民多数の意思表明の結果として当選した翁長知事はおかしいから、考えを改めるべきだ、と言っているのである。これを“上から目線“と言わずしてなんと言おうか。
 翁長知事は辺野古移設は認めないことを公約として、仲井真弘多氏に大差をつけて当選したのである。それを「工事阻止しか言っていない。安全保障のことを考えろ」と指示しているのである。
 中谷氏に限ったことではないが、こと沖縄に関しては、安倍首相も菅官房長官も、翁長知事だけでなく、沖縄県民を憎み、バカにしているとしか言いようがない。民意というものを理解していないし、民主主義の本質を理解していない。
 本来、普天間飛行場は移設ではなく、廃止するようにアメリカと交渉すればよいのだが、どうしても移設するというなら、自民党政権を認めている本土へ移設すればよいだけのことである。1月12日付の当ブログでも書いたが、強行すれば本当に血を見る争いになる。沖縄県民は辺野古の自然を破壊することを望んでいない。独立闘争だってありうるのではないか。
 沖縄はもう十分に安倍首相のいう日本の防衛のために尽くしている。本当に正しく、国民も納得するなら、東京湾でも大阪湾でも、伊勢湾でも、いや、どうせなら安倍首相の地元の山口県沖だったら、よほどすんなり行くのではないか。

今日はオッフェンバックの「ホフマン物語」を映画で観る

2015-03-13 22:06:21 | Weblog
2015.3.13(金)
 先月27日に続いて、メトロポリタン(MET)・オペラの最新公演を映画館の大スクリーンと迫力の音響で観る映画・オッフェンバックの「ホフマン物語」を、同じく名駅のミッドランドスクエアシネマで鑑賞した。
 物語は、詩人のホフマンが4人の女性との恋の遍歴を語るが、いずれも実ることなく終わる。酔い潰れたホフマンに芸術の精・ミューズの化身であるニクラウスは「「詩人としてよみがえりなさい。人は恋によって大きくなり、涙によってさらに大きくなるのです」と語りかけてエピローグとなる。
 演奏時間は正味約3時間余で、随所で歌われる合唱と華やかなバレーに彩られて、実に楽しい演出である。
出演は、ホフマン=V・グリゴーロ(テノール) ミューズ/ニクラウス=ケイト・リンジー(メゾソプラノ) 4人の悪役=トーマス・ハンプソン(バリトン) ステラ/アントニア=H/ゲルツマーヴァ(メゾソプラノ) オランピア=エリン・モーリー(ソプラノ) ジュリエッタ=クリスティン・ライス(メゾソプラノ)指揮=イーヴ・アベル  演出=パートレット・シャー


3月10日は東京大空襲から70年 TBSが当時の空襲映像を公開

2015-03-10 14:57:41 | Weblog
2015.3.10(火)
 1945年3月9日から10日にかけて、東京がB29の焼夷弾爆撃を受けて、10万人が犠牲になり、26万戸以上の建物が破壊、炎上するという大惨事があった。あれから丁度70年の歳月が流れたことを記念して、TBS系列のテレビ局が「~千の証言~私の街も戦場だった」と題したドキュメンタリーを放映した。東海地域ではCBCテレビで観覧できた。
 太平洋戦争も末期の1945年に入ると、B29の標的は軍需工場だけでなく、当初は大都市の市街地を焼夷弾で無差別に攻撃し、その後はその範囲を次第に中小都市にまで拡大していった。それらの記録は、米軍戦闘機の翼に取り付けられたカメラ「ガンカメラ」に収められていた。そのフィルムはアメリカの国立公文書館に保存されている。
 ある研究者らが、全国139市町村の空爆記録を公文書館から取り寄せて、映像に映し出された風景、地形などを分析し、そのフィルムの日時と場所を特定したいくつかの映像が放映された。
 アメリカ軍は沖縄に次ぐ日本本土での地上戦を想定して、沖縄から飛び立ったB29やグラマンを鹿児島の志布志湾を標的にして攻撃した。特に7月、8月になると、日本近海に航空母艦が襲来し、そこから飛び立つグラマンの機銃掃射による市民への無差別爆撃が繰り返されるようになった。人影を見ると執拗に追いかけ、銃弾の雨を降らせる様は、まさに地獄絵図であった。
 また列車で空襲を受けた疎開中の若い姉妹の運命と家族の悲しみを、実際の証言を交ぜながらドキュメンタリードラマに仕立てた。
 鉄道を破壊する攻撃は、兵と軍需物資の輸送を断つ目的で各地で展開された。45年8月5日、国鉄中央線・高尾駅は3度の攻撃を受け、また湯の花トンネル付近を走行中の列車が機銃掃射を受け、60人を超える死者を出した。東京での空襲から逃れるため長野の親戚の家へ行く途中、これに乗車していた黒柳姉妹の15歳の姉が銃弾に当って死亡、13歳の妹は奇跡的に助かるという事実をドラマ化した。
 日本軍は機銃掃射に対抗するため、防空気球なるものをつくった。またの名を阻塞(そさい)気球とも言った。絹とゴムでつくった気球を300メートルほどのロープで地上からつなげて、敵機を引っ掛けて落とすという代物である。1機2000万円もしたために、大量につくれず、ほとんど効果を発揮できなかったという。
 絨毯爆撃は無差別に一般市民を死に追いやり、恐怖を植えつけたが、撃った米軍パイロット達も探し出してその思いを追求した。しかし彼らもそうした悲劇を知って悲痛な思いを吐露した。戦争の残酷さは勝っても負けても変わらない。
 最後の最後まで負け戦に終始してなお戦ったみじめな戦争であったことを見せ付けられた。ナビゲーターは佐藤浩市がが務めた。

美濃加茂市長、無罪判決!!

2015-03-06 15:18:31 | Weblog
2015.3.6(金)
 岐阜県美濃加茂市のプール水浄化設備導入をめぐる汚職事件で、事前収賄などの罪に問われた市長・藤井浩人被告(30)に対し、名古屋地裁は5日、「贈賄側の供述の信用性に疑問があり、現金授受があったと認めるには合理的疑いが残る」として無罪(求刑懲役1年6月、追徴金30万円)の判決を言い渡した。
 一方、贈賄側の業者、中林正善受刑者(44)は贈賄と詐欺の罪で既に懲役4年の判決が確定しており、同じ地裁の中でも全く正反対の司法判断が下された。中林受刑者が「二回に分けて計30万円を渡した」と供述しているのに、藤井被告は一貫して「現金は一切受け取っていない」と主張して対立していた。
 それにもかかわらず、裁判長が中林受刑者の供述を信用しなかったのは、法廷での証言について「検察官と相当に入念な打ち合わせをしたと考えられ、自ら経験した事実を語っているか疑問」としたうえ、中林受刑者は先に、巨額融資事件で取り調べを受けており、「なるべく軽い処分を受けるため、捜査機関の関心をほかの重大事件に向けようと虚偽供述をした可能性がある」と結論づけたと言うのである。
 裁判は一時不再議、また他の裁判がどうであれ、信ずる判決を下すというのが正道だというのは分からないわけではないが、一般市民には全くももって分かりにくい判決である。
 特に今回の判決は、検察と贈賄側とが結託して、「賄賂を渡したと供述した方が他の犯罪で受ける刑罰より軽いからそうしろ」と言っているようなものである。
 かつて厚生労働省局長だった村木厚子さんが巻き込まれた大阪地検の郵便不正事件などで検察不信が沸き起こったことがあるが、今回の判決が正しいとするならば、それと全く同じ構図であると言わねばならない。
 検察側は控訴するといわれるが、どうあれ、これで裁判は終わったわけではない。新たな裁判の始まりである。