名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

官僚のおごり

2013-06-29 13:42:51 | Weblog

2013.6.29(土)
 今週号の週刊誌アエラに「官僚たちの思考回路」と題して最近話題となった二人の元官僚と一人の現官僚の発言から、官僚共通の発想を追及した記事が載っている。
 最近の官僚たちの暴言・妄言に触れたものであるが、
 ①まず最初が5月22日にジュネーブで開かれた国連の拷問禁止委員会という国際会議の場で、上田秀明・人権人道担当大使(68)が「ドント ラフ(笑うな)!」「シャラップ(黙れ)!」と各国代表たちに向かって真顔で怒鳴りつけたというのだ。上田氏は東大から外務省に入りポーランドとオーストラリアの大使を務めた。
 ことは、警察・検察の取り調べに弁護人が立ち会えないなど、日本の刑事司法制度の前近代性に対して、何人かの委員が問題視し、中でも、モーリシャス委員が日本の自白偏重ぶりを「中世の制度のようだ」と痛烈に批判したことが発端だったらしい(ちなみにモーリシャスは東京都とほぼ同じ面積の島国で、人口は約130万人のアフリカの国家)。
 これに対して上田氏は「日本は中世の国ではない。この(人権)面では最も進んだ国の一つだ」と大まじめに対応したものだから居合わせた人たちはクスッとするしかなかっただろう。それなのに冒頭のように怒鳴りつけたというのである。
 ②次が東大を卒業して外務官僚となり駐米大使を7年近く務めてから、日米野球機構のトップ(コミッショナー)に就いた加藤良三氏(71)である。メディアでも大きく報道されたが、プロ野球のボールをこっそり飛びやすく作り替えていたいわゆる「統一球」について、加藤氏は「不祥事とは思っていない」なぜなら「全く知らなかった」からだと強弁した。世間ではこれだけの「事件」をトップが知らないはずがない、としてその無責任さを糾弾している。
 ③次は現役の官僚、復興庁の水野靖久参事官(45)である。早稲田大学出身で総務省キャリア、昨年8月から復興庁に出向して原発事故子ども・被災者支援法に基づく支援をする立場にいた。
 その本人が、福島第一原発事故による健康被害への対応をテーマに、環境NGOが衆院議員会館で開いた集会に出た後、「左翼のクソどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席。(中略)感じるのは相手の知性の欠如に対する哀れみのみ」とツイッターでうっぷんを晴らしたというのである。天に向かってつばを吐くとはまさに彼のことを言ったものである。
 いずれもマスコミ等で大きく報道されたが、それぞれが単発の出来事として何となくうやむやにされている。
 アエラでは、こうした官僚の発言は個々人の資質だけではなく、悪しき官僚の文化として世代交代とともに脈々と受け継がれていると指摘している。
 そのとおりであるが、それを改めようとする気配はみじんも生まれようとしない。その批判の大きさから復興庁は水野氏を担当から外しただけである。
 もちろん多くの国家公務員は賢明にその職責を果たしているのであるが、自分は偉いと庶民を見下ろしてお高くとまっている役人もが数多くいるのも事実だ。行政の見直しはまず、官僚の資質の見直しから始めるべきではないか、とつくずく感ずる。


東京都議選 自公が全員当選

2013-06-24 21:44:19 | Weblog
2013.6.24(月)
 東京都議選挙が昨日23日、投開票された。定数127人のうち自民党は59人、公明党は23人がいずれも全員の当選を果した。合計82人は64.6%に当たり、過半数を大幅に超えた。
 一方でこれまで第一党だった民主党は現有43議席(前回選挙時の獲得議席は54議席)から三分の一に近い15人にまで落ち、倍増した共産党をも下回る第四党となって惨敗した。
 34人を擁立した日本維新の会は現有3議席から2議席に落ち、敗れた。維新の会と袂を分かったみんなの党は1議席から7議席に躍進した。 
 その他、地域政党の生活者ネットワークは3議席、生活の党と社民党、みどりの風はいずれも議席を得られなかった。
 今回の選挙の確定投票率は43.50%で、過去二番目の低さという。
 自民党は4年前の麻生太郎内閣のとき、都議選で第一党の座を民主党に譲ったが、今回の選挙では、安倍内閣の支持率の高さを反映して再び第一党に返り咲いた。
 原発や憲法よりも目先の経済という目くらましにあって都民は結局自民党を選んだ。今の政治状況はもはや自民党の一人勝ちの状況である。今回の選挙で自民党の相手が民主党というこれまでの図式が完全に崩れたことを示した。この政治状況は、国政においても変わりようがないことも明らかであり、空恐ろしい。
 しかし今回の都議選は、都民自ら選んだ結果だから、端でがたがたいうつもりはない。

富士山、三保の松原も含めて世界遺産に登録決定

2013-06-23 17:34:41 | Weblog
2013.6.23(日)
 カンボジアの首都プノンペンで開催しているユネスコ世界遺産委員会は22日、日本政府が推薦している「富士山」の審査を行い、「信仰の対象と芸術の源泉」と評価して世界文化遺産に登録することを決めた。なお構成資産から除外を勧告されていた三保松原(みほのまつばら)も含めて登録されることも決まるというサプライズもあった。
 登録は富士五湖や白糸の滝などを含む約7万ヘクタールが対象となっている。ユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)は4月、富士山を「日本の象徴で、その影響は日本をはるかに超えている」と評価して登録を勧告した。一方、三保松原は富士山から45キロ離れている点や、消波ブロックなどで景観が損なわれている点を問題視して、除外を登録の条件とするよう勧告していた(5月1日付け当ブログ参照)。
 しかし各国代表の委員から「三保松原も含めるべきだ」との意見が相次ぎ、勧告を覆しての登録となった。
 登録決定を受け、近藤誠一文化庁長官は「喜びや悲しみを分ち合ってきた日本人の美しい心のシンボルが富士山。文化遺産として認められたのは、日本の歴史に残る出来事」と語った。
 川勝平太静岡県知事は「三保松原が一体として認められたのは奇蹟だ」と語った。
 富士山の登録は既成事実化されていたので登録は当然ということであったが、三保松原の登録は関係者にとって望外の喜びであろう。
 ところで富士山は国内17件目の世界遺産であるが、なぜもっと早く決まっていなかったのか不思議なくらいである。
 富士山は当初、自然遺産での登録を目指したが、ごみやし尿の問題が解決できず、国内の候補地に選ばれなかった。その後、2003年には政府の検討会で「火山の地形として世界的に珍しくはない」との理由で候補地から落選したのを契機に文化遺産を目指す方向に転換したという経緯をたどった。
 さて世界遺産になったのはいいが、富士山を訪れる人が溢れて環境が悪化しないよう良識が求められるし、行政も保全に努めるともともに登山者への啓発もしっかりやってもらいたい。

小型ヨット太平洋横断中の辛坊治郎氏遭難

2013-06-22 10:18:51 | Weblog
2013.6.22(土) 
 太平洋横断を目指すニュースキャスター辛坊治郎さん(57)と全盲のセーラー岩本光弘さん(46)の小型ヨットは6月8日に大阪市内のヨットハーバーを出発。福島県いわき市の小名浜港に寄航し、16日に米サンディエゴを目指し出航していた。
 辛坊さんと同乗した岩本さんは、東日本大震災の津波で被災したいわき海星高のヨット部、いわきジュニアヨットクラブに練習用ヨットを寄贈した人である。
 二人は順調に進めば8月にサンディエゴに到着する予定であった。ところが21日午前7時45分ごろ、辛坊さんの事務所から「船内に海水が浸入した。救助してほしい」と緊急通報電話の118番があった。
 報道によると、辛坊さんらは通報直後、救命ボートに乗り移ってヨットを放棄、海上自衛隊の救難飛行艇が21日午後6時15分ごろ、現場海域で二人を救助し、午後10時半ごろ、神奈川県の海自厚木基地に到着した。二人にけがはなく、体調はよいという。
 遭難現場は宮城県・金華山の南東約1200キロの地点。
 厚木基地に到着した辛坊氏は「助かった、の一言」と憔悴した表情で話し、日付が変わった22日深夜、東京都新宿区の吉本興業で会見した。「救助にたくさんの人手や税金を使うことになり、反省をしなければいけないことは、きりがないくらいある」と涙を流しながら謝罪。また、21日中に救助されなければ低体温症になるだろうと覚悟したという。
 さらに「正直、今後、どの面下げてという思いはする。今後の仕事は白紙」と話し、コメンテーターをしばらく休業することも示唆した。
 さて、全盲のセーラーが太平洋横断に成功すれば世界初となっただけに残念な結果となった。とはいえ、個人的な趣味や冒険に結果として多くの人に手間をかけ、さらには多くの公費を使ったことは、辛坊さんがいうように反省の余地があることは事実であるが、こうしたことは冒険にはつきものである。辛坊さんはそんなに恥じ入ることなく、助かった命をこれからの再起、あるいは新たな挑戦者へのコメンテーターとして使ってもらえばよいのではないか。


慰安婦発言をめぐり、石原・橋本バトル始まる

2013-06-19 09:40:30 | Weblog
2013.6.19(水)
 日本維新の会の共同代表である石原氏と橋下氏がいがみ合う事態に発展している。野次馬としては、こういう“いい加減”な政治家がケンカするのは面白いから言わしてもらう。
 事の起こりは、石原氏が18日の党国会議員団の役員会で、従軍慰安婦をめぐる発言で党への逆風を招いた橋下氏に対して「責任者が招いた事態だから仲間に謝るべきだ」と謝罪を要求したことに始まる。
 役員会では橋下氏が「釈明の場」を設けるよう調整することで一致したが、その後石原氏が橋下氏に電話で、テレビカメラの前で釈明するよう求めたのに対し、橋下氏は「では、代表を辞めればよいんですか」と開き直って拒否したという(朝日新聞配信)。
 石原氏は当初、橋下氏が「慰安婦は必要」と発言したことに対し同調する姿勢を示していたが、世論の攻勢が厳しいと見るや、反転橋下氏を攻撃する方向に立場を変えた。
 石原氏は、橋下氏が米軍輸送機オスプレイの飛行訓練の一部を八尾空港で引き受ける考えを示したことにも「地元の市長が聞いていないようなことは言わない方がいい」と言っていたという。
 こんな状況であれば、もし橋下氏が謝罪に応じなければ、二人の共同代表の亀裂は深まるであろうというのが朝日の見方である。
 しかし、石原氏に橋下氏を責める資格などもともとあろう筈もない。尖閣諸島の島々を東京都で買収しようなどと言い出して、結局、時の野田政権に国有化させてしまった元凶である。こんなことのために日中関係は最悪の事態に陥り、計り得ないほどの国益を害した。下手をすれば鉄砲の引き金が引かれかねない状況といっても過言ではない。お陰で、地主は20億5千万円もの大金をせしめた。これほどの税金の無駄使いはない。
 悲しいかな!石原氏はこの自分のしたことの意味をいまだに解しておらず、中国にけんかを売ったことを誇らしく思っているほどである。
 どうでもいいが、どっちもどっちのケンカは野次馬としては、大きくなればなるほど面白い。

静岡県知事に川勝氏再選される

2013-06-17 21:44:29 | Weblog
2013.6.17(月)
 6月16日投開票された静岡知事選挙は、現職の川勝平太氏(64)が、自民党県連推薦の多摩大教授広瀬一郎氏(57)と共産党県副委員長島津幸広氏(56)の二新人を大差で破り再選を果たした。
  川勝平太  1,080,609票
  広瀬一郎    345,617票
  島津幸広     61,980票
 投票率は49.49%で、前回61.06%を11.57ポイントも下回った。
 川勝氏は浜岡原発再稼動の是非を「住民投票で問いたい」としており、二期目の任期中は再稼動は困難、との見通しを明らかにした。川勝氏は政党や団体の推薦を受けず、党派を超えた選挙戦を展開して幅広い支持を集めた。
 一方で自民党県連が擁立した広瀬氏は、安倍内閣と自民党の高支持率を背景に「県政と国政のねじれを解消する」と訴えたが、自民党支持層を十分に固めることができなかった。4月以降、自民党は安倍内閣や自民党の高い支持率とは裏腹に、地方の首長選で敗北が続いている結果となっている(東京都小平市、青森市、郡山市、宝塚市、宮崎県日南市、名古屋市、静岡県磐田市、さいたま市、千葉県八千代市、高知県土佐清水市、岐阜県美濃加茂市)。
 アベノミクス効果といわれる円安、株高も、5月に入って乱高下を繰り返し、最近では急激な円高、株安に見舞われている。これも自民候補の票が川勝氏の票の三分の一しか獲得できなかった要因かもしれない。

世界最高齢者の日本人死去

2013-06-13 09:42:47 | Weblog
2013.6.13(木)
 今日の新聞によると、世界の最高齢者だった京都府京丹後市出身の木村次郎右衛門さんが12日、老衰のため死去したと報じている。享年116歳であった。喪主はひ孫が執り行うと書いてある。
 木村次郎右衛門さんは、1897(明治30)年4月19日生まれだそうで、満116歳と2か月弱である。ギネス・ワールド・レコーズ社はすでに2011年4月に男性の世界最高齢と認定していた。さらに2012年12月に佐賀県の女性が亡くなり、日本国内の最高齢にもなっていた。また2012年12月に米国の女性が115歳で死去したことに伴い世界最高齢になっていた。その直後の2012年12月28日には、115歳252日で死去した米国の男性の記録を塗り替え、ギネス社に史上最も長生きした男性と認定されたという。
 1986年に、鹿児島県伊仙町の泉重千代さんという人が当時120歳で死去したとされていたが、ギネス社はそのホームページで、その年齢には疑問が生じていると記している。
 ギネス社によると、木村次郎右衛門さんの死去によって、大阪市東住吉区の115歳の女性大川ミサオさんが新たに世界最高齢になったという。
 木村次郎右衛門さんは子ども7人に孫14人、ひ孫25人、やしゃご15人に恵まれたという。昨年末から体調を崩し、入退院を繰り返していた。幸せな人生の大往生であったと信じよう。
 筆者の父は1899(明治32)年12月生まれであったから。存命なら114歳である。実際は30年以上も前に75歳で死去した。筆者はまもなくその年齢に到達する。

義兄死す

2013-06-12 22:41:32 | Weblog
2013.6.12(水)
 6月10日午前3時、義兄(姉の夫)が直腸がんがもとで死去した。享年80歳であった。
 姉の息子(甥)に聞くと、体の変調をきたし検査の結果、直腸がんが発覚、3月に直腸の切除を行なって人工肛門を付けるという手術を行ったが、すでに他の臓器に転移しており、医師からは余命半年と言われていたという。
 5月には、老人施設に転院したが病状が悪化し、6月に入って再び元の病院に戻って治療を受けていたが、ここ数日のうちに急激に悪化し、ついに10日早朝、帰らぬ人となった。余命半年と言われていたことからすると、いわば急死のような気がする。
 2010年5月の長兄の死、2011年12月の次兄の死、2012年6月の義母(連れ合いの母)の死に続く義兄の死である。毎年の親族の死で気が重い。
 男4人、女4人の8人兄弟姉妹で、両親が健在の時はそれぞれが子どもや孫を連れて集ると本当に賑やかで、兄弟の多さをみんなが喜んだものである。
 長女の夫が20年ほど前に亡くなったが、男ばかり4人の死である。しかし、長女も次女も三女も健康で元気とは言いがたい状態である。ここ10年ほどは全員が集ることもなくなってしまった。若いものに引き継いでいくことがあたり前とはいえ、淋しい限りである。

沖縄戦・学童疎開の悲劇「対馬丸展」開催

2013-06-09 13:58:59 | Weblog
2013.6.9(日)
 69年前の1944(昭和19)年8月22日、沖縄から本土・長崎に向かった学童疎開船「対馬丸」(6,754トン)が、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した。
 乗員乗客1,476人が死亡し、うち学童疎開の子ども達は777人におよび、助かった子どもは僅か59人だった。
 今朝(6月9日)の中日新聞が6月11日から7月6日まで「戦争と平和の資料館ピースあいち」で『沖縄戦・学童疎開の悲劇 ~対馬丸沈没展』と題して開催されると報じている。
 敗戦の日(1945年8月15日)よりほぼ1年前の出来事であった。
 学童疎開は太平洋戦争末期アメリカ軍による日本本土攻撃に備え、大都市の国民学校初等科児童を集団的に農村部へ半強制的に分散移動させた措置であった。
 1944年6月30日、政府は「学童疎開促進要綱」を閣議決定し、「縁故疎開」を強力に勧奨するとともに、縁故のない児童には「集団疎開」を実施した。
 「集団疎開」は当初、東京都区部の国民学校初等科3年以上6年までの児童を対象としたが、7月には名古屋、横浜、川崎、大阪、神戸、小倉、八幡など12都市まで拡大された。
 こうした措置の中で沖縄県などの戦域諸島の児童も疎開することとされ、疎開船「対馬丸」に乗船して本土・長崎に向かったのである。
 疎開は未来ある児童の命を守るために実施されたのであるが、逆に命を失うこととなった悲劇となった。
 展示は、2004年に沖縄県那覇市に建設された「対馬丸記念館」からパネルや絵などを借りてきて行なわれる。6月15日には6日間を漂流して助かった上原清さんもピースあいちでその体験を講演することになっている。
 命を救うために行なわれた疎開のために、かえって命を落とすことになってしまった悲劇をかえりみる。ここにも戦争の残酷さがある。

今度は円高、株安に転ずる!!

2013-06-07 17:42:27 | Weblog
2013.6.7(金)
 アベノミクス効果として、円安・株高が驚異的な勢いで進んできて、安倍内閣の期待、人気が一層高まっていたが、ここ数日、今度は円高・株安がさらに激しいスピードで進んだ。
 今日(7日)の東京外国為替市場の円相場は、一段と値上がりし、一時1ドル=95円台後半で取引された。日銀が大規模な金融緩和を決めた4月上旬以来、約2か月ぶりの円高水準となった。
 7日の東京株式市場も円高が進んだことを嫌って、幅広い銘柄に売り注文が拡がり、日経平均株価は大幅に続落して一時1万2600円を割り込み、こちらも約2か月ぶりの安値水準となった。
 つい先日には1ドル=102~103円まで円安が進んだが、上がるのも早かった。株価も1万5千円を上回ってどこまで突き進むのかと言われていたが、こちらも落ちるのが早かった。
 もともと、この円安・株高は安倍内閣の政策によってもたらされたものなどではなく、アメリカの景気上昇、欧州の経済危機の脱出などの要因があってであることは多くの経済学者も指摘していたことだ。アベノミクスの危うさを的確に指摘するメディアも弱腰で、特にテレビ・メディアは安倍内閣のちょうちん持ちの役割しか果たしていないところにこの先の行く末に危険性が隠されていた。
 この数ヵ月の円安・株高によって景気は回復したと錯覚させられ、調子に乗った安倍首相は憲法96条の改訂や沖縄普天間の辺野古への移転、オスプレイの配備、原発推進どころか原発を海外に積極的に売り込む死の商人のような役割を買って出ている有り様である。
 円安で輸入物の諸物価は上がったが、所得は上がらず庶民の暮らしが上向いたなどという感じはないにもかかわらず、安倍内閣の人気は依然好調らしい。
 前にも言ったが、野田内閣の過ちは早まった「やけくそ」解散にあった。今ごろまで頑張っていれば円安・株高の恩恵にあずかって、ここまで民主党が落ちぶれることはなかったからである。