名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

核禁止条約の交渉開始へ国連委員会採択、日本はこれに反対

2016-10-29 22:04:58 | Weblog
2016.10.29(土)
 国連総会第一委員会(軍縮)は27日(日本時間28日)、2017年の「核兵器禁止条約」制定交渉開始を定めた決議案を賛成多数で採択した。
 ここでいう核兵器禁止条約とは、核兵器の開発や実験、保有、使用などを全面禁止しようという条約で、現段階ではまだ構想段階に過ぎない。しかし、核兵器を非合法化する作業が始動し、核廃絶に向けた具体的な取り組みが本格化する点で画期的な動きである。
 採決では、途上国を中心に123か国が賛成、米、英、仏、露など核保有国など38か国が反対し、中国など16か国は棄権した。
 問題は日本の態度である。唯一の被爆国として、また原発事故を引き起こした日本がアメリカの核の傘から抜け切れず、本来なら先頭を切って賛成すべきところ、棄権でもなく、何と反対にまわったのである。その言い分は、北朝鮮情勢が緊迫化しており、米国の「核の傘」に守られている現実から、「核軍縮は核保有国の関与が不可欠であり、国際社会の総意の下で進めるべく現実的な議論の積み重ねが必要で、空論に与しない」というものである。
 一方で日本は、各国指導者らへ被爆地訪問を呼びかけた別の核兵器廃絶決議案を主導し、採択された。核兵器禁止条約に反対しながら廃絶を訴えるという実に分かりにくい態度である。これでは被爆国としての存在感はどこかへ行ってしまう。
 広島と長崎の被爆者たちは、決議案の採択に「一歩前進」としつつも、日本が反対に回ったことには「裏切り行為」と怒りを込めた。核保有国と非保有国との亀裂が深まり、対立が激しくなることが予想される中、日本は唯一の被爆国として本来、両者の橋渡し役を果たすことが期待されているはずである。被爆者たちも「本来先頭になって廃絶を叫ぶべきだ」と主張している。
 何もかもアメリカの言うままになっている日本政府のあり方、その自立心のなさには情けないというしかない。
 この日、中日新聞に載った平和の俳句は「しあわせの人はせんそうしたくない」(野口しずゑ(69)ソドニー市在住)であった。選者の一人のいとうせいこう氏は「まさに箴言。そこで不幸せを多発させて権力者は戦争へと人を導く」と解説している。

三笠宮さま逝く

2016-10-28 15:09:41 | Weblog
2016.10.28(金)
 昭和天皇の末弟で現天皇の叔父にあたる三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)さまが27日午前8時34分、心不全のため聖路加国際病院で亡くなられたと発表された。享年100歳。
 宮内庁によると、信頼できる記録が残る皇族で100歳を迎えた例はないという。
 三笠宮さまは1915年、大正天皇の4男として誕生。1935年に三笠宮家を創立した。陸軍大学校卒業後、中国派遣軍総司令部参謀として、1943年から南京に駐在。1944年には大本営陸軍参謀として勤務された。
 戦後は、東大文学部の研究生となってヘブライ史を学ばれた。1954年には日本オリエント学会の会長に就任。東京女子大学などで古代オリエント史を教えられた。また、日本レクリエーション協会総裁、日本アマチュアダンス協会総裁として、フォークダンスなどの普及にも取り組まれた。
 三笠宮妃百合子さま(93)との間に三男二女をもうけられたが、寛仁親王、桂宮、高円宮さまらはいずれも既に亡くなられている。
 中日新聞によると、現在の皇族の中でただ一人、軍人として戦地を体験された。日本を破滅に追い込んだ軍部独走への怒りと、自らもその一員に加わったことへの反省は戦後、平和の大切さや国際親善の重要性を一貫して訴える原動力になったという。
 さらに三笠宮さまは、「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語るものが売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」と述べられ、戦後、皇族の立場で「聖戦」の実情を批判的に回顧し大きな反響を呼んだ。
 紀元節復活の動きにも反対し、復活に賛成する関係者の反発を招いたが、見解を曲げなかった。
 南京に赴任した1943年、軍紀の乱れを知り、現地将校を前に「略奪暴行を行いながら何の皇軍か」などと激烈な講和をされたという。
 「罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数々はいまさらここにあげるまでもない」「内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」とも発言された。
 これに対して反響は大きく、非難する文書が三笠宮さまの周辺に配られたが、三笠宮さまは「経験と視野はせまいかもしれないが、私は間違ったことは書いていない」と反論された。
 「紀元節」復活の動きには、57年に歴史学者の会合で「反対運動を展開してはどうか」と呼びかけられた。 
 84年の自伝では、「南京駐在時に青年将校から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました」と記述。「毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました」とも明かされた。
 また93年には、「最近、南京虐殺が問題になっています。新聞を見ていると、何万人殺したとか、いや殺してないとかいう話が載っていますけれども、これは数の問題ではなくて、1人であっても虐殺は虐殺なんです」と語っておられる。
 あらためてすごい人であったと思う。櫻井よしこや渡部昇一氏らに聞かせたい言葉の数々だ。南京虐殺の意味についても河村名古屋市長はよく噛みしめて勉強してほしいといいたい。安倍首相には三笠宮さまの爪の垢でも煎じて飲ませたい。
  畏れ多いが、心からご冥福をお祈りする。



石巻市立大川小児童の津波犠牲に14億円の賠償判決

2016-10-27 20:17:53 | Weblog
2016.10.27(木)
 東日本大震災時に多くの犠牲者を出した石巻市立大川小学校の遺族が市と県に計23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は26日、23人の遺族に対して14億円余の支払いを県と市に命じた。
 その骨子は、学校側は津波襲来を予見できた上、助かった可能性が高い裏山を避難先に選ばなかった過失があるとしたものである。
 この判決にメディアは、学校の防災のあり方に大きな影響を与えるものだとして、評価する姿勢を示している。
 だが、納得がいかない。
 東日本大震災は何百年に1回あるかないかといえる大災害である。特に津波被害の甚大さは歴史的ともいえるものだ。この震災による死者・行方不明者はその後の関連死を含めると2万人を超えて稀にみる事態となった。
 とりわけ、石巻市は死者・行方不明者が4,000人を超えて最大の被害を出した地域である。そのうち、大川小学校の児童の死者・行方不明者は74人と大きな犠牲を出した。併せて先生も13人のうち10人の犠牲者を出している。
 判決では、市の広報車が高台への避難を呼びかけた段階で、津波襲来を予見できたと認められ、高台へ避難せず、大川小より高い標高約7Mの堤防付近に向けて移動したことは、6~10Mもの津波が予見される中、避難場所として適していなかった、として学校に過失があったと認定した。この判決に異論はない。
しかし、巨大地震で、大混乱の中、先生たちはこれが最善の避難場所だと信じて堤防に逃げたに違いない。ただ結果は最悪の事態を招いた。その責任は否定しない。しかし、その先生たちも生徒たちとともに犠牲となった。
今回の裁判は、教師の誤った指導のためにかけがえのない子供を失ったのは教師たちの過失によるものである。従って、県と市は損害賠償をすべきだというものである。
多くの児童たちが亡くなったのは本当に気の毒であり、遺族の人たちの辛さもよくわかる。しかし、災害とはそういうものなのだ。だから、被害を少しでも少なくするように日ごろから備えておくべきということは災害の度に戒められてきた。
そもそも今回の様な災害の犠牲に対して、損害賠償という形をとること自体が不自然ではないか。いくら賠償を勝ち取っても命は帰ってこないのである。
また、児童の犠牲者74人のうち、今回提訴したのは23人の遺族だけである。51人の遺族はどんな思いでこの判決を見ているのであろうか。
本来、何よりも災害はいつ起きるか分からない。起きた時にはどう対処するのか、あらゆる想定をして被害を最小限に食いとめるための方策を日頃から訓練して、防災のあり方を確立しておくことが絶対に必要なのである。そのことを確認できる裁判として記録できるなら、今回の判決を評価したい。

宇都宮松原教会へ姉と同行

2016-10-24 09:50:11 | Weblog
2016.10.24(月)
 筆者の姉(次女)は結婚して栃木県宇都宮市に40年ほど住んでいた。しかし、高齢になったうえ、近くに身内のいない一人暮らしでは心配ということで、3年前に名古屋へ転居してきた。
 姉は、人生の半分余を宇都宮で過ごしてきたことから大勢の友人ができたし、若い時からのキリスト教信者として活動もしてきたことから、元気なうちに宇都宮の友人・仲間に会いたいとの希望を叶えるため22日~23日にかけて、宇都宮へ出掛けた。
姉は何とか歩けるけれども、階段の上り下りや乗り物への乗降は、ある程度の介助が必要で、一人でこの遠方への旅行は厳しいことから随行したものである。
 宇都宮での予定は23日(日)、宇都宮松原教会の定例の主日礼拝に参加して昔の仲間と再会するというものであった。
22日は午後4時半ごろ宇都宮市内のホテル東日本に到着した。たまたま、22日、23日は自転車レースの国際大会が宇都宮市内で開催されていたらしく、半月ほど前にホテルをネットで探したが、宇都宮駅近辺はすべて満席であったため駅からは離れていたが、やっと空いていたこのホテルに決めたものである。
早速、この日の夕方、親しかった姉の友人がホテルに訪ねてきてくれた。この人は、姉が名古屋へ帰還するとき住居の処分などで筆者もお世話になった方なので、顔なじみであった。3年ぶりの再会で二人は1時間半ほどを過ごした。姉の安らぎを眺めることが出来た。
 翌日(23日)は、姉が住んでいたマンションの近くにある松原教会に、午前10時半の礼拝に間に合うように出かけた。
 松原教会は改築されたばかりの真新しい建物で、室内もきれいに輝いていた。毎日曜日に行われている定例の礼拝日であるが、17~8人の信者が参加していた。全員、姉をよく知っている人たちばかりで、みな心から歓迎してくれていた。
 説教は女性の牧師が勤められた。筆者はこうした礼拝式に初めて参加したが、信者のお一人が隣にきて、聖書のどこのお話をしているのか、またどの賛美歌を歌うのかなど親切にサポートしてくれた。無信教の筆者としては、礼拝の一部を垣間見ることが出来て参考になった。
 礼拝が終わってからは、12人ほどの方が残ってくれて、簡単な食事会による歓迎会を催していただいた。むろん筆者の席も用意されていた。約1時間半、姉にとってこれほど安らぎの得られたときはそうはなかったに違いない。声ははつらつとして笑顔が絶えなかった。話しは尽きなかった。至福とはこういう時であるに違いない。
 姉にとって元気なうちにこうした機会を持つことが出来たのは本当によかった。宇都宮は国内ではあるが、姉にとってはもはや遠いところである。今後どれだけの人と再会できるであろうか。そのことを考えながら皆さんと別れを惜しんで帰路についた。


機動隊員の「土人」発言

2016-10-22 10:02:29 | Weblog
2016.10.22(土)
 「土人」発言は、沖縄のヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)建設工事をめぐって工事反対派と警察のせめぎ合いが続く北部訓練場のゲート付近で18日、大阪府警の警察官二人から反対派住民に向かって浴びせられた。
 「どこつかんどるんじゃボケ、土人が」と吐き捨てた。「黙れコラ、シナ人」との暴言もあったという。沖縄の新聞が明らかにしたことを受け、沖縄県警もそれを認めた。
 石垣島出身の龍谷大学松島泰勝教授によると、これは「沖縄の人にとってショックな言葉だ」としたうえで、「土人という暴言は、1903年に大阪で開催された博覧会でアイヌ民族や沖縄の人が見せ物として陳列された人類館事件を想起させる」という。
 こうした事実に対して、松井一郎大阪府知事が「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い、職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」と自らのツイッターに投稿したことも報じられた。当然のことながらこれにも多数の抗議が寄せられたという。
 こうした事態にも松井知事は、「発言は不適切だが、全国の警察官は沖縄に派遣され、行きすぎた抗議活動で衝突にならないようにやっている。労をねぎらうのは当然」と言い張っている。
 「土人」発言は言うに及ばず、松井知事の発言にはあきれてものが言えない。全く腹が立つ。「土人」発言は明らかにヘイトスピーチだ。それを公務員たる機動隊員が発しているのである。大阪府警は二人の機動隊員を戒告の懲戒処分に付すというが、すいませんですむ話ではない。
 またまた腹の立つ話で、今日は一日中気分が悪い思いで過ごさねばならない。

2020年東京五輪開催費用について思う

2016-10-21 21:23:08 | Weblog
2016.10.21(金)
 小池百合子さんが都知事に就任して突然、2020年の東京オリンピックの開催費用の問題と築地市場の豊洲新市場への移転問題が大問題となって、連日のごとくメディアを賑わしている。
 そのうちの東京オリンピックの開催費用について私見を述べたい。
 そもそもIOC への申請段階では開催費用は、総額7,000億円とか8,000億円といわれていたように記憶している。それが小池都知事が就任して、突如というか実は3兆円にも膨らんだということがマスコミで報じられるようになった(あるいはもっと前にもそうしたことは言われていたかもしれないが、一般国民は知事が代わったことによって明るみになったと理解している)。
 これには誰もが驚いた、いや驚愕したという表現の方が適切であろう。3兆円というのは平成28年度東京都一般会計予算7兆円余の43%に相当するし、名古屋市のそれが1兆円余であるから3倍である。わずか半月余りのオリンピック開催のために、名古屋市の予算の3年分を使い果たすというのだから、もうこれは正気の沙汰とは思えない。
 東京オリンピック招致を進めてきた猪瀬直樹前々知事も舛添要一前知事も知事在任中にこのことを全く問題にしていなかったのに、小池知事になった途端に大問題になってマスコミも大々的に報じるようになった。
 さすがの小池知事も巨額の税金を使う訳にはいかないとあれこれ見直しに手を付け始めた。その一つがボートとカヌー・スプリント会場の変更である。
原案では、東京港中央防波堤内側及び外側埋立地間の水路に新しく整備される施設で、海の森水上競技場といわれているが、整備経費は約500億円に上るといわれている。そしてすでに今年7月には着工されている。
 これに対して、小池知事は宮城県登米市にある長沼ボート場を候補に乗せ、先週15日には現地を視察した。当地宮城県の村井嘉浩知事は早速これに協力する姿勢を示し、選手村経費を含めて200億円で賄えるとの提案をした。その他、埼玉県からも彩湖などの提案がある。
そして18日、小池知事は来日したIOCのバッハ会長と会談した。会談は有効裡に終わったようだが、バッハ会長は一言、東京は実施計画を示して他の国に勝利したことを忘れてはいけない、と述べたという。もっともな発言ではある。
 ボート・カヌー会場一つとってもこのように難題があり変更は簡単ではない。
 初期の7,000億とか8,000億という金の内訳を知らないが、そもそもメイン会場である国立競技場の改築自体が、今から思えば間違いのもとではなかったか。外国人の設計を一旦は採用しておきながら、すったもんだの末、設計のし直しという事態をひき起こし、醜態を演じた。当初案では3,000億円を要するといわれたがあまりに高額で、結局1,500億円余で執行されるという経緯をたどった。これとて今後どれだけ膨らむか予断を許さない。
 ともかく3兆円の内訳が具体的に示されたということを聞いていないが、組織委員会もスポーツ団体も本気でこんな大金を使うつもりなのであろうか。オリンピックの開催は都市ということになっているから、東京都が最終責任をとることになると思うのだが、国はどれだけ負担するつもりがあるのか、都民はそれだけの巨費を負担してもよいのか、誰もまともには考えていないとしか思えない。
 ボート・カヌー会場だけでも500億とか200億とかいわれているが、筆者の庶民的感覚でいえば既存施設について、それこそ数億円もかけて改修すれば良いように思えてならない。現実に国内競技はその会場を使って実施されているのだから。一部政治家やスポーツ関係者の欲望のために税金を無駄遣いしてもらっては納得できない。
こういう巨費をあれこれ言っていると、河村名古屋市長が主張してやまない名古屋城の木造復元費用の500億円など小さく見えてきて(木造への復元に賛成するわけではないが)、どうぞ復元してといってもいい気分になる。

新潟県知事選で再稼働反対派が当選

2016-10-17 14:51:27 | Weblog
2016.10.17(月)
 新潟県知事選挙は16日に投開票され、無所属新人で共産、自由(生活の党から党名変更)、社民三党推薦の医師・弁護士の米山隆一氏(49)が当選した。前長岡市長の森民夫氏(67)は自民、公明の推薦を受けながらも落選した。
 確定得票は
   米山隆一 528,455票
   森 民夫 465,044票
 で、63,000票余りの差がついた。
 米山氏は原発再稼働に厳しい姿勢を示していた泉田裕彦前知事の路線継承を訴え、東電柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な立場を示して当選した。
 米山氏は、「命と暮らしを守れない現状で、認めることはできない。福島第一原発事故の検証なしに再稼働は議論しない」と言明している。再稼働には知事の同意が必要で、政府や東電が推進する再稼働は厳しいものとなった。
 今回の選挙で民進党は、最大の支持団体である連合新潟が森氏支持を決めたため、自主投票というあいまいな姿勢をとり四党共闘は実現しなかった。しかし支持議員が勝手連のように米山氏を支援する過程で民意に押され、終盤になって蓮舫代表が応援するという形となった。結果的にこれが功を奏したともいえる。
 今回の結果は、再稼働ありきという政府の姿勢に大きな打撃を与えるものとなった。もともと世論の大勢は東電福島第一原発の事故を受けて、再稼働に疑念を持ち続けている。こうした国民の意見に耳を貸そうとしない政治の在り方に国民が一矢を報いたもので溜飲が下がる思いである。

頻発する少年による集団暴行事件

2016-10-13 21:31:28 | Weblog
2016.10.13(木)
 三重県鈴鹿市の公園で津市の中学2年生(14)がとび職の少女(17)と同じくとび職の少年(16)に2時間にわたって殴るなどの暴行を加えられ、意識不明の重体となった事件。 二人は公園のトイレで全身を殴った後も体を突き落としたりする暴行を続けたという。
 滋賀県彦根市の少年が知人の高校生に殴られて死亡した事件。死因は頭部打撲による頭蓋内損傷と分かり、加害者の県立高校1年の男子生徒(16)は傷害致死容疑で送検された。
 昨年の2月、川崎市の多摩川河川敷で中学1年生(13)が少年3人に川で泳がされた後、カッターで首を切られるなどして死亡した事件。
 さらに昨年6月にも、愛知県刈谷市の高校1年生(15)が知人の私立高校生ら3人に暴行され、川で溺れて死亡した事件。
 今年8月には埼玉県東松山市で、アルバイト少年(16)が同年の少年ら5人に暴行され、河川敷で砂利に埋まった状態で遺体で見つかった事件。
 教育評論家の尾木直樹氏は「スマートフォンの無料通信アプリの普及で少年同士の輪が広がり、大人が異変に気付けなくなった」と事件の背景を指摘している。そのことは理解できなくもないが、それよりも社会の不安定化、格差社会の歪み、将来への不安、信頼感の欠如など覆いかぶさる社会の不安に打ちひしがれた若者の姿ではないか。
 事件は若者だけではない。毎日のように大人による残虐な事件も頻発している。
 効率一辺倒、成果主義、金、欲望ばかりを追い求める社会の仕組みに結局絶望だけが残る現状に自暴自棄に陥らざるを得ない雰囲気が充満している。それが小さな犯罪どころか殺人やテロ事件へとつながっていく。結局のところ政治の貧困に行き着く。

ファッションジャーナリスト織田晃さん死す

2016-10-10 19:21:17 | Weblog
2016.10.10(月)
 織田晃さんが10月3日、亡くなった。70歳の若さであった。死因は食道がんという。
彼は繊研新聞者に入社して記者となり、編集委員、WWDジャパンのファッションディレクターを経て2005年、ファッションジャーナリストとして独立。日本におけるファッションジャーナリストの草分けとして活躍した。
NPO法人ユニバーサルファッション協会名誉会長、ファッションビジネス学会ユニバーサルファッション研究部会理事長を歴任し、杉野服飾大学特任教授としても学生を指導してきた。
 彼はファッションジャーナリストの先駆けとして、コレクションを報道し続けた。プレタポルテの黎明期から取材を続け、日本のデザイナーのパリ・コレクション進出の過程を見届けた。
 ジャンポール・ゴルチェやアントワープ6の台頭、トム・フォードをはじめとするクリエイティブディレクターの時代を様々な角度から切り取った。新しい才能を見いだす目も卓越していた。「クリツィア・トップ」を手がけた当時無名のアルベール・エルバスを大きく取り上げた。
 編集者としてだけでなく、イベントの企画立案でも才能を発揮した。繊研新聞者主催の東京新人のクリエーターズコレクション、2000年11月にはジャーナリストのスージー・メンケス氏を招いてのファッションシンポジウムなどを主導した。
 服と時代の距離感を図り、服を通じて冷静な目で時代を語ろうとした。ランウェーだけでなく、ロンドン・パンクや竹の子族といったストリート・カルチャーにも目を向けて、時代と服のあり方を探った。近年はユニバーサルファッションやサスティナビリティーなど、ファッションの新しい可能性についても言及していた(以上繊研新聞記事より)。

 その織田晃さんの通夜が8日午後6時から、葬儀告別式が9日午前10時から、品川区五反田の桐ケ谷斎場で執り行われた。
 繊研新聞が伝える彼の活動からか、実の多くの人たちが弔問に訪れた。彼の友人がアレンジした音楽をBGMにして一人ひとりが献花する形で通夜式も葬儀も行われた。葬儀では3人の方から感動的な弔辞が贈られた。
 献花する人の中でも多くの人が涙していた。今にして彼の人柄と存在感が浮き彫りになった感である。
 何を隠そう、彼こそ筆者の義理の弟である。



義弟死す

2016-10-03 21:46:27 | Weblog
2016.10.3(月)
 連れ合いには5歳下の弟がいる。二人姉弟である。今朝4時過ぎ、その妻からの電話で今しがた息を引き取ったとの知らせが入った。
 今年春に、食道がん治療のため虎ノ門病院に入院しているときに見舞ったが、その時は近くのホテルに案内されコーヒーを飲んで歓談できた。
 その後、治療方針を変えるとかで国立がんセンターや民間病院などへ転院して治療を続けていたが、ここ半月近く末期症状に至っていた。連れ合いが付き添っていたが、状況から見て一旦名古屋へ戻っていた。
 昨日の段階では、今日(3日)になったら筆者も妻と一緒に見舞いに出かけようと話し合っていた矢先であった。
連れ合いにとって、二人姉弟の弟に先を越されたのだがら悲しみもひとしおである。両親はもういないのだから唯一の肉親が逝くということは本当に悲しいことだ。
 義弟の家は渋谷駅から徒歩で10分ほどのマンションであるが、既に病院から遺体は引き取られていた。東京の葬儀事情はよく分からないが、何しろ人口が多いのだから今日亡くなったから明日、明後日に葬儀・火葬という訳にはいかないという。なんとか葬儀屋との調整で8日通夜、9日葬儀に決まったという。
 義弟も奥さんもファッションジャーナリストで、その筋では知られた人である。彼らには子供がいないので、準備はほとんど奥さんの肩にかかってくる。

葬儀などの詳細は下記HP参照

www.fashionsnap.com/the-posts/2016-10-03/odaokira-lament/